魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

カイゼン

2013年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の頃、母は仕事の関係で、よく仲人をしていた。
昔の仲人は、今のようにお腹の大きい新婦の横に座るだけの「顔」ではなく、双方の紹介者として、夫婦関係に責任を持つのが常識だったから、家庭内トラブルが起こるたびに、相談を受けていた。

毎日のように、お嫁さんが来て、夜遅くまで話し込んでいた。その後、そのお嫁さんがオバアちゃんになっても続き、母が亡くなる一週間前に、夫婦で孫の相談に来た人さえいた。
時々耳にする話の内容は、世間の人間関係の不思議にあふれ、子供の好奇心をかきたてた。

昭和30年代は、自由恋愛と昔の常識が葛藤した時代で、自由を前提とする言論の前には、昔ながらの「親と暮らす大家族制」の環境が残り、嫁姑の葛藤は、今のようなハンパなものではなかった。

その頃聞いた、お嫁さんの話の中で、
「舅(義父)がケチで、細かいことまで一々指導する。歯磨きのペーストを出す長さまで指示する」と言う話が、妙に記憶に残っている。
おそらく、歯を磨くたびに思い出すからだろうと思うが、思い出すたびに、その舅のことを考える。

一体どういう動機で、それを言ったのだろう。舅はどういう人格だったのだろう。双方はどんな家柄だったのだろう。
これは、色々あるトラブルを考える上で、基本的な好材料になる。
言動の動機は単純ではない。人の言動を他人はどう受け止めるのか。生い立ちと価値観。世代間格差・・・など、実に多くの要素を含んでいる。

「ケチだ」と思う意識の裏には、金を貰う側の、出す側に対する図々しい欲がある。反面、出す側の出し方一つで、過分に頂いたと思えることもある。

当時の嫁は、完全な主婦で、親と同居することは、いわば、家賃まで親の世話になることになる。
今のように、子供の独立が保証された上に、これ幸いと積極的に親にたかるのではなく、親の扶養義務が重くのしかかり、独立することが許されなかった時代だ。嫁の立場など無に等しく、家事労働の概念など皆無で、ひたすら貰い、それに対し奉仕する側と考えられていた。

法律が変わって10年も経っておらず、一般常識は極めて因習的だった。(田島某教授は、未だこの頃の前提に立っている)
お嫁さん自身も、貰う側と考えていたから、ケチだと受け止めたのだが、舅の側はどうだったのだろう。

家業が何だったのかにもよるし、様々な状況が考えられるが、舅が一々口を入れるのは、大きな家ではないだろう。その上で、考えられるのは、舅は嫁のことを可愛いと思っていた。だから、この家のやり方を早く教えてやろうと思ったのではなかろうか。
自動車人間で言えばガソリン。星座で言えば魚座タイプだろう。

パワハラ
今でも、二十歳前後の人を見ていると、大人はあきれたり、一言言いたくなる。年齢は大人だが、まだ責任感や自立心、知識に欠けるからだが、この時、叱る人もいれば、教えようとする人もいる。
しかし、当の青年は、自分が知らないと言うことを知らないから、ウザイと思う。

無知で無邪気な言動に、イジメたくなる人がいるのも事実だが、良かれと思って叱る人や、親切なお節介とは、なかなか区別がつかない。

昔の嫁イジメは確かにあったが、全てがそうだったわけではない。むしろ少なかったから、話として面白がられたのだろう。
多くの姑は、何も知らない若い嫁の教育係として、責任を感じていた。
その気持ちが、上手く実行できなかったことや、実家で甘やかされていた若い嫁からすれば、辛いイジメに思えたからだろう。

今でも、会社のパワハラと言われるものの多くには、そうした行き違いがあるのではなかろうか。

ところで、歯磨きのペーストの何mmまで指導する舅だが、
おそらく、相当、合理的で、凝り性のタイプだったと思われる。何をどうすれば合理的に物事を処理できるか。何から何まで、チェックと工夫をし、その効果を面白がり、家族にも指導していたに違いない。

高度成長期なら「カイゼン」の工場長。昔なら軍隊の新兵訓練担当だ。
舅の年齢から考えても、軍隊で使用する水の量まで叩き込まれた年代であり、一度憶えた合理生活は病みつきになる。戦後の日本企業の高効率を支えた世代だ。それを、家長の権限で、家族に徹底していたのだろう。ケチと言うより、「カイゼン」の鬼だったのかも知れない。

以前、歯磨きペーストはほんのチョットで充分だと、何かで聞いたことがあるので、チューブに使用開始日を書いてみた。同じチューブだが、替えるたびに使用期間が長くなる。

よーし、次はもう一ヶ月延ばすぞ・・・


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