魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

罵り合戦

2014年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

川内原発を動かす動かさないと、また、一騒ぎだが、世間の騒ぎは相変わらず理解できない。
何事もそうだが、騒ぎの核心が、今どうするかだけでもめる。
現在の決断、現在の行為が未来に繋がるものである以上、未来と同時に語るべきだ。
未来に目標を据えなければ、だれも貯金などしない。

生まれてから昨日まで、うまいうまいと食べていたコメに、発がん性物質が発見されたからと言って、今日、食べることを止めることに意味があるだろうか。しかも今、倉庫にはそのコメが山積みにされている。

こちらの足下を見て、何倍もの値段で売りに来た、ピザ屋のピザだけで生きていくつもりだろうか。そのピザに別の発がん性物質が含まれない保証があるのだろうか。

今できないことを、今しろと騒ぐのは、未来の概念を理解できない幼児だ。明日は2倍あげるからと言っても、「そんなら、もういらない」と言い出す。
原発を本気で止めようと思うなら、原発の無い未来を目指すこと、それこそが現実目標、今することだろう。

「止めろ」「動かす」と主張する両者とも、未来が今と同じと思っている。とにかく動かそうとする側も、今さえ強行突破すれば、あとはずっと同じように動かせると信じている。
許さないと主張する側も、今許したら、そのままになると信じている。

今、原発無しは不可能だ。現に止まっているのは事実だが代償が大きすぎる。
本気で止めたいなら、取りあえず今は妥協し、重要な取引として、極力短い停止期限を稼働条件として出すべきだ。

この議論を仕掛けることにより、どちらが無理をしようとしているのか明白になる。
今のままでは、ただの罵り合戦にしかならない。