魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

株価指標

2014年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

米中対話の冒頭で、また習近平が「新しい大国関係」「太平洋は2国で別けよう」と、堂々と主張していた。
ケリー国務長官はイラだったように、「大国らしい振る舞いをせよ」と言い返す。
「大国」の意味が、双方かみ合っていない。

昔、高度成長の頃、毎日、ダウが上がっているニュースを聞いた、土地成金農家のおやじが証券会社で、ボストンバッグ一杯の札束を見せ
「これで、ダウを買ってくれ」
と言った、笑い話がある。

習近平の「大国」は、この「ダウ」のような認識で、恥ずかしいほどの不見識ぶりだ。
お金で品格は買えない。

毛沢東と、習近平がどことなく似ているのは、この下品さだ。周恩来がいなければ、中華人民共和国は成り立っていなかったのではないかと思う。
さらに下品なのは江沢民だが、習近平は中に江沢民が入った着ぐるみのような気がする。
面白いのは、彼らは皆、それなりに御曹司だ。

一方で、中国の見識人を見ると、日本留学の経験者が多く、日本人から見ての見識人なのかも知れない。
留学はしていなくても、滞在経験などで、日本に好意的で、世界との対話ができる人が多い。

中国の御曹司で留学経験の無い人が下品に見えるのは、生粋の中国人を体現しているからだろう。
下品というのは、品という文化基準に照らしてのことだから、中国の基準では下品ではない。
当世の世界基準に照らすから、下品に感じるのだろう。

自分の家の常識のまま、外の人と話をすると、ヒンシュクをかう。つまり、まともに相手にされない。しかも、当人はそれに気づかない。

金持ちの御曹司が、自動販売機の買い方を知らないと言えば、周囲は、凄いなあと感心し、得意になる人もいるかも知れないが、決してまともに相手にされていない。敬遠されているだけだ。

習近平政権は、敬遠されて得意になっている世間知らずの成金の御曹司だ。しかも、国内では、恐らく、これを正す人はいないだろう。この先、留学経験者が支配層に入れば改善されるかと言えば、これも、おぼつかない。
今の中国に帰国するのは、海外で五星紅旗を振って「前進、前進」と歌っているような留学生だからだ。

中国の考える「大国」とは、昔ながらの地政学的な物理大国であり、アメリカの目指す「大国」とは、ホストとしての大国、ダウ平均株価的な指標を示せる国だ。