魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

不支持率

2014年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの調査機関によると、安倍外交への評価が、ベトナムやフィリピン、日、米で5~60%台だったのに対し、中韓では10%前後で、韓国の不支持率に至っては94%だった。

自論としては、80%を越える世論は感情論であり、ほとんどが間違った判断だ。
世の感情論というものは、後になって冷静に考えれば、何であんな風に思ったのだろうと、不思議に思える。

世相に流されていた事に一度気づけば、世論のバカらしさに気づくハズなのだが、どうも、そういうものではないらしい。時が過ぎれば、同じ人が同じように、真反対に向かって叫んでいる。

昭和一桁の焼け跡派が、世の中を斜めに見ていたように、世相感情の大逆転を経験した人々は冷めている。
今で言えば、バブル期に生まれて、バブル崩壊、失われた時代を過ごして大人になった、30代の人達もそうだろう。

また、60年安保や、70年安保に興奮した人も、アカシアの雨に打たれて、されどの日々を送ったり、シラケ鳥飛んでいくのを見たりで、空しさを知ったことだろう。

こうした自己体験を通して、世相の本質を見た人は二度と流されなくなるが、世の中の大半はその周辺にいて、自ら痛い目に遭っていない人であり、そういう人が主体になって形成するのが、大方の時代の世論だ。そして、それが世の80%の世論を成す人々ということだ。

もし、世論80%と同じ側に自分がいたなら、わざわざ反対論に転ずる必要もないが、少なくとも、自分自身の判断に、怒りや、快感の感情論が影響していないか、もう一度、考え直しても良いのではなかろうか。