魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

まだある

2014年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、市場の八百屋さんで買い物をした。
お店をやっているのは、80代の老夫婦で、奥さんの方は完全に腰が曲がっている。腰の曲がった老人にも久々に出あった。

「これとこれ下さい」
「はい、646円」
財布を見ると、小銭が100円や500円はあるが、10円が四枚と1円が五枚しかない。思わず、
「1円まけてくれる?」と言うと
「はあ、よろしよ」
当然のように、まけてくれた。レシートもくれなかったが、下さいとも言えなかった。

スーパーのレジでは、絶対に言えないことだ。
例え1円足りなくても、レジの人は、嫌そうな顔で何分でも待っている。スーパーのレジで、慌てて財布をひねくり回したり、『エイヤッ』と居直ったように1万円札を出す人、終いにはこの期に及んで、クレジットカードに切り替える人もいる。
とにかく、全く、融通が利かない。こんな事なら、スーパーは全部、セルフレジに変えれば良いのにと思う。

世の中は、ますますシステム化されて、人がいても、自動販売機と同じになり、1円足りなくても買い物ができない。人と同じなのか、その自動販売機が「ありがとうございます」と言う。近頃は、お愛想まで言うそうだ。