魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

台風一過

2009年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

いまTVでは、台風18号が日本列島縦断中だ。
このところ、台風上陸がなかったので、本当に久々だ。
温暖化の関係だろうが、なかなか上陸しない反面、昔の台風とはワケが違うらしい。アメリカのハリケーンなどと同じように、成長力が違うのだそうだ。
被害を受けた方にはお見舞いを申し上げたい。

日本列島は災害列島で、地震、台風、火山・・・何でもありだが、
反面、外敵に侵入されたことがない。これも、世界史的には珍しいことだ。元寇の時も台風で助かったと言われている。
同じ島国でも、イギリスなどしょっちゅう侵略された。

古代にはずいぶん外敵にやられた形跡もあるし、第一、今の日本人自体、外敵そのものの末裔なのかも知れないが、まとめて、そっくり乗っ取ったというわけでもなかったようだ。
さみだれ式に、様々な形でやって来た。時には暴力的に、時にはニコニコと、浸透していったのだろう。
大和政権ができてからは、結果的に一度も侵略されなかったが、世界的にはかなり特殊で、珍しい。

その結果なのか、災害に対する諦めと我慢、忍耐強い復興精神が生まれた反面、外敵に対する意識が消えてしまった。
消えたと言っても、無防備になったわけではない。「敵」を理解できなくなったのだ。

中国大陸のように「強いもんが勝ち」みたいな切り替え型や、ヨーロッパのような「ルールで共存」のような対応方法が育ってないから、喧嘩を本気でやる。かと思えば、負ければすっかり自己喪失する。

これは、一人っ子の喧嘩と同じだ。兄弟で、もみ合いながら育ってないから、喧嘩と殺し合いの区別がつかない。
近頃、ちょっとしたことで、殺人や自殺に走る人が増えたのは、過保護で育って、一人っ子と同じように「打たれ弱」くなっているからだ。
人や社会との「かねあい」ができない。

災害というものは、被害を受ける個人の悲劇とは別に、マクロ的に見ると進歩や刷新をもたらす。
日本が劇的に変化したのは、黒船と敗戦だ。嵐が壊乱すると、野焼きの後のように、新しい芽が出てくる。

今は、60干支で言えば、敗戦から4年目の昭和24年。焼け野原の日本に、理由もなく解放や自由があふれていた時代だ。
政権交代で、今もまた、そういう風が吹いているようだ。