魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

撤収と展開(3)

2009年10月06日 | 新鎖国論

自然に調和した生き方のカギは「知恵」だ。
高速道路や飛行場、ジャンボジェットのような「力まかせ」の方法は人類の「若気の至り」だった。
交通ルールや鉄道の組み合わせを変えることで、金も物も使わない、スマートな文明が生まれる。

アニメの殿堂を建てなくても、過去の無駄な箱物を使えばいい。
土建屋時代が終わったことを、みんなが認識する必要がある。
このサイバー時代には、役所さえ要らない。役人も在宅で良いし、役所はサイバーで間に合う。
まあ、どうしても実物役所が必要なら、小さな賃貸オフィスで充分だ。
駅ビルや学校内なら便利だろう。

産業転換として、様々な業界から農業に参入し始めたのは良いことだし、工業生産の空洞化も、考えようによってはチャンスではないか。
戦後、ニーズに応じて物作りをしてきたことは成功したが、ニーズを生み出す力は育たなかった。

ニーズを生み出す力とは、生き方を提案することだ。
対応技術だけが先行していたために、製品が飽和状態になると、次の一手に技術屋が主導権を握り、「こんなことも、あんなこともできます」だけで物作りをした。その典型が「ガラパゴス携帯」だ。

韓国や中国に出し抜かれた原因は、彼らに技術が無く、「売れる物は何か?」だけを追求したからだ。
日本も、昔はそうだったが、それに合わせて工夫した日本の時代と、飽和技術をパクれる時代の差もある。

パクリ産業がそれ以上成長することはない。日本の戦後は「物まね」と言われたが、基礎技術と、損得抜きの職人文化の伝統があった。

日本の再興に「ものづくり」を言う意見は多いが、元来が、競争のための物作りではなく、生活を楽しむための物作りだった。技術屋と違い、職人にはノルマがない。技術を使う商品を考えるのではなく、目的に合わせて技術(わざ)を開発する。
日本が復権するには、新興国と売り上げ競争をしては「絶対に」勝てない。
日本の生き方を再興すること。にっぽん」の提案だけが、物作りの生きる道だ。

だからこそ、日本は「心の鎖国」をしなければならない。
マイペースで、自分たちが真に楽しいことを追求することが生き残りの道であり、手の内は見せてはいけない、神秘のままで良い。
同時に、その魅力で常に、良い友達を選ぶことも大切だ。

えてして、良い友達は、いつも遠くにいるものだ。
クラスの人気者より、学校の人気者になることだ。