魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

もじもじ

2009年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

大阪の橋下知事が職員にメールを送って、「返信下さい」と言ったら、「あるまじき」返信が返ってきて激怒。厳重注意にした。

早い話、どっちもどっち
知事としては当世風の「訓辞」のつもりで送ったのだろうし、返信した職員は、「ため口メール」のつもりで、ディスプレーを相手に、気楽にメールした。

橋下知事の「直裁」執務の問題点が出たという感じだ。
膠着した行政組織に、直観的な一般常識で切り込むことは必要なことだが、これは諸刃の剣で、公私の区別が本人も周りも解らなくなる。

庶民に人気する政治家には、独裁者の要素がある。
庶民が共鳴する政治家は庶民的だから、帝王学の「我慢・忍耐」がない。愛らしい表情の次の瞬間には、「嫌だ!」とキレる。
素直さゆえだが、権力者が直情的だと、下の者は、お天気しだいで「何が災いになるか解らない」から、戦々恐々になり、いわゆる「恐怖政治」が生まれる。

初めは意図していなくても、遠慮がだんだん当たり前になり、
「ムカッ!、カチン!」のレベルがどんどん下がってくる。
誰も文句を言わなくなると、独裁者が生まれる。

文字の恐怖
独裁者とは別の問題だが、ある意味で、同じ心理問題かも知れないのは、「メール」だ。

メールは便利だが、極めて危険なツールだ。   (1/400
面談と電話と手紙の長所を併せ持っていると同時に、短所も併せ持っている。
メールの長所は、速くて、時間を選ばない。短所は、独りよがりになるうえ、取り返しがつかない。

独りよがりになるのは、手紙の要素だ。昔から、「夜書いた手紙は朝出す前にもう一度読み直せ」という鉄則がある。文章を書く時の妄想を、もう一度、客観的にチェックせよ、という意味だ。
文章を書く時は、手が自分の頭の中と直結している。

ところが、人との対話は、言葉に出すたびに、相手の反応、つまり、客観的チェックが入る。思考が客観的に構成されていく。
しかしまた反面、一度口にしてしまった言葉は、取り消せない。
「ただいまの言葉は取り消します」と言うのは、「悪かった」と謝っていることであって、一度出てしまった言葉は、絶対に消せない。
メールも、送ってしまったら、取り返せない。しかも、会話のように即座に、ゴメンゴメンとも言えない。

メールは「妄想失言」の爆弾だ。