現代の若者が「やる気がない」などと言うのは老視だ。
若者はいつの時代も情熱に燃えているが、それを発揮できる環境や、方向性が違うだけだ。
昔のように、大声を上げて走り回らないからと言って、何もしていないわけではない。
むしろ、昔と比べればはるかに遠くまで、ネット上を走り回っている。
しかし、何れの時代にも、特有のカセ(枷)とバイアスがある。
現代の若者のカセは情報システムだ。
人類は新しい能力を身につけるたびに、その環境になれるため、制限を受けて苦しむ。
背伸びをした現代人
情報システムは、二足歩行や、文字の発明と同じように、進歩は、同時に束縛となっている。
情報システムに頼りすぎて、五感による認識を忘れ、動物として身につけた数億年の能力に封印をする。
皮膚感から生まれるコミュニケーション能力に、カセを掛けるのだ。
また、時代のバイアスとなっているものは、閉塞感だ。
自分たちには出口がない。という思い込みが創造にフタをしている。
この出口のない閉塞感は、一朝一夕に生まれたものではない。
チャップリンの「モダンタイムス」のように、産業革命後の人間疎外が根底にあって、さらに、その上に、現代のスピードや人間を超える能力が、人間の尊厳を貶めている。
「ハイテクによる認識」に追いつけない現代社会は、実は、自信を喪失しているが、若者は、それでも無自覚に果敢に、それを乗り越えようとしている。
それが若者への希望であり、同時に危うさでもある。
アニメ空間に閉じこめられた現代
アニメが発展していく過程で、一貫して気になっていたことは、絵面や声優ではない。ストーリー背景にあるタテ型社会だ。
先輩・後輩の人間関係、人物設定にまつわる出自や経歴。
伝説のヒーロー・・・など、
登場人物が、ほとんど固定したタテ型社会で表現されており、対等で自由な、出自に関係ないストーリー展開がない(少ない)。
初めの頃は、宇宙戦争などの軍隊モノに目立ったが、いまではアニメの根底は全面的に固定社会になっている。
これは、アニメだけでもなく、アメリカ製のスタートレック等にも顕著にでている。
昔、社会がタテ型だった頃には、むしろ無かった設定が、
タテ型社会が失われた環境の中で、意識して現れた。おそらく、軍隊「らしい」展開をするために強調された演出ではなかったかと思う。
ところが、それを見て育った人たちに、タテ型の秩序が住み着いてしまった。今では現実の中にタテ社会を持ち込み、自らそれに縛られている。これも新しい閉塞状況だ。
スタートレックにしても、最初の60年代カークの頃には軍隊といえどもタテ社会は希薄だったが、80年代のピカードでは俄然、タテ型の縁懇社会になっていた。
悪平等はタテ型価値観の裏返し
現在の人は、当たり前すぎておそらく気づかないと思うが、戦後の一時期と比べれば、きわめて先輩・後輩の意識が強く、出自に対する意識が強い。
悪平等と言われる一方で、タテ社会が非常に堅固にできあがってしまっている。何でも平等にしなければならないのは、タテ型潜在意識からの強迫観念だ。
イジメ、玉の輿、逆玉、お嬢様、御曹司、伝説の、前世、格差、上から目線・・・
これらは、タテ型の固定社会ならではの言葉だ。
これが、若者の意識のバイアスになっている。
先輩や上の世代を批判するわりには、ぶち破ろうとしない。
上の世代を無視して自分たちの主義主張を掲げ、自分たちの中からリーダーをたてるような動きが見られない。
上の世代に存在を誇示するわりには、上の世代を無視できない。その結果、自分たちに都合が良い夢を語る大人をリーダーに求める。
いまさらのマルクスブームもその変形だろう。
歴史は、忘れた頃にやってくる。
ヒトラー・ユーゲント
毛沢東・紅衛兵
プーチン・ファンクラブ・ナーシ
盧武鉉・ネチズン
オバマ・???