しばらく休もうと思っていたら、
気になるニュースがあったのでチョット一言。
岐阜で、車が転落して、運転していた人が3日目に助けられた。
その捜査をしている最中、100mほど離れたところに別の車が転落していて、やはり死後10日ほど経った人が見つかった。
こういう事件があると、転落死した人の霊が、道連れを引っ張ろうとしたとか、自分を見つけて欲しくて呼んだのだとか、
すぐ、因縁話にして人をおどしたり、ついでに便乗して、金儲けのネタにする「怪しげな」人が出てくる。
こういう偶然は、いかにも不思議で、
何らかの必然的な力があったに違いない、と思いたいものだ。
これは、現象に隠された原理を解明したい、科学につながる人間の論理思考のあらわれだが、
何もわからない古代の人は、「霊」や「神」の力でそれを説明しようとした。
思い込みを排除して、事実の積み重ねで原理を解明する科学が発達してからは、霊や神の影が薄くなっていたが、
あまりにも高度になった科学に、ついて行けなくなった人々の中に、スピリチャリズムが息を吹き返してきた。※
必ず答えを求めようとするのは、子供の「なんで、どうして」と同じで、悪いことではないが、科学的視点では「分からないものは分からないもの」として残しておくものだ。
偶然に起こった不思議なことを、「霊」の仕業にすれば手っ取り早い。お祓いをすれば問題が解決すると思えるからだ。
理由が分からないままにしておくと、また災いが起こるのでは、と不安になるからだ。そこで、その不安につけ込んで儲ける人が出てくる。
神の声
転落事故は、偶然かも知れないし、必然かも知れない。
しかし、「霊」とするのは短絡的すぎる。
事故の連続は、道路の形状や季節的条件、気候的状況が重なって起こったとしても不思議ではない。ただし、これを科学的に解明するのは容易ではない。
これと同じように、身の回りで起こる不思議なこと、不安なことにつけ込み、「お祓い」で解決しようと言う人がいれば、
これは「振り込め詐欺」とまったく同じ手口だ。無いものを有ると言ってお金を出させようとしているからだ。
こんなことを、占い師が言うのはおかしいと思われるだろう。
それは、占いと称して、「振り込め詐欺」のようなことをしている連中があまりにも多く。世間一般常識として、占いと、拝み屋が同じものと思われているからだ。
占いは、霊との因果関係を説明するものではない。
拝んで運を変えられるものでもない。
森羅万象を動かす原理に従って生きようとするものだ。
占い原理で考えれば、岐阜県海津市南濃町で、起こるであろうことが起こるべくして起こったと考える。
科学が、積み重ねで原理を見いだそうとするのに対して、
原理を想定して現象を見て行こうとする、科学の真反対にいるものだが、神の声を求める心では同類のものだ。そうありたい。
ここで言う「神」とは、願いを聞いてくれたり、お告げを下したりする「霊」的な「神さん」のことではない。
※
人間的な霊とは違い、「神」は科学の上にでも存在することができる。
人間と霊は対等だが、すべてを超越した存在を「神」と呼ぶからだ。
ついでに、あえて「仏」について言えば、神を知る存在だろうか。