魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

習い性

2008年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

定年退職をして暇なはずの人に、休日、電話をすると出かけていることが多い。
どうも、休日となるとじっとしていられないらしい。
せっかく、平日に出かけられるのに、わざわざ、休日を選んで出かける。

一緒に出かける人の都合に合わせたり、休日しかやってない催しがあったりするのかも知れないが、宮仕えの習慣がしみこんでいるのではなかろうか。
ますます年寄り人口は増える、どんな活動をするにも、年寄りはサラリーマンとは、違う時間帯で動くことを心がけた方が、自分も楽だし、迷惑にもならない、と思うのだが。

昔から、年寄りは『忙しくてしようがない』と言って歩き回っている。
若者からすれば、『暇なはずなのに見栄を張っているんだろうか』
と思っていたが、自分も周りも年を取ってくると、だんだん解かってきた。

年を取ると、行動力に反比例して、人生に積み残してきた課題が増えていく。老い先短いから早く片づけねばと思うのに、身体がついて行かないから、歳月だけが猛烈に通りすぎていく。

焦って動き回っても、感覚も行動力も衰えているから、思うようにはかどらない。
ますます焦って『忙しくてしようがない』と、やみくもに走る。
(若者から見れば歩いている)

年を取ったら捨てることが重要になる。
いろいろ思い出のある、チョットしたものが捨てられない。
人生の課題が捨てられない。
子供への希望が捨てられない。

どんなに大切なものも、
死んだらゴミの山になる、とは思いたくない。
自分を捨てられない。