魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

益々・・・きた

2008年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

天王星84年周期。益々、世相が当時に似てきた。
軍人が独善的になり、暗殺が世相化する空気が漂ってきた。

この数十年。こんなこと(天誅)は歴史の彼方に消えたことのような気がしていた。
しかし、運命周期からは、やはり逃れられないのだろうか。

時代や文明は変わっても、世相や人心は変わらない。
文明が進歩しても、人間が進化したわけではないと言うことだ。

元厚生幹部の暗殺
この事件を聞いて、「やっぱり」と思った人は多いだろう。
被害者自身も「夫が危ない」と、認識していた。

年金に対する怒りは日本中に渦巻いている。行政がけしからんと誰でも思っているだろう。
だから、テロリストは「天誅」の機が満ちたと思った。
テロリストは、社会の道理の「つもり」で動く。
社会の怒りの代理人として、つまり、天に代わって悪を討つ、自分は正義だと信じている。

このような思い込みが芽生える社会背景には、伝統の価値観がある。
日本人には、「敵討ち」の心情が残っている。いまだに忠臣蔵は好まれるし、被害者は必ず、犯人の極刑を望む(あるいはマスコミがそう言わせる)。

「目には目を」という古典的道理、白黒をつけるという二者択一の情緒的判断が、日本文化の特徴でもある。
生か死かという短絡が、潔いとされる。
近頃の、「誰でも良かった殺人」も自殺の増加も、短絡的に答えを求める文化背景が負の形で現れたものだ。

こういう社会には、怒りの気持ちを短絡的に実現させる「暗殺」の深層心理がある。「必殺シリーズ」は大人気した。

政治家は血相変えて怒っている。当然だ。法治社会ではあってはならないことだ。
しかしまた、彼ら自身が知っている。
政治家こそが、何ら、打開策を打たず、国民の怒りを増大してきた真犯人であることを。

本当の責任者は、役人ではない。政治家だ。
法治国家の立法府が、日本の国を「放置国家」にしてしまっている。

犯人に厳正に対処することは当然だ。
しかし、その前に、政治家の仕事としてすることがあるだろう。

行政の不正を厳罰で処断し、それが生まれる法律の不備を正すべきだ。そうでなければテロを容認する背景が生まれる。
そしてなによりも重要なことは、
一刻も早く、年金はやめて、だれでも解る老後保障法を作ることだ。

政治家が無能であれば法治国家は崩壊する。

このまま行けば「戦前」の再来だ。