転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



最後の夜が始まる。
遙かに見える、釧路港の夕暮れ。

釧路はなぜか、昼間には通りにほとんど人が歩いていないのに
夕方から、やたらと人出が多くなり、あちこちの店が混雑する(笑)。
もともと土地が広いのだし、昼も夜も誰も居ないのなら、
それだけ人口密度が低いのだろう、という理解で良いと思うのだが、
目下、釧路には人は居る。否、大変に人が多い。夕刻以降限定で。
主人いわく、
「釧路の人は、昼働かないで夜遊んでいるのか(^_^;?」
んなワケあるまい。↑お盆だからか……??

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繁華街は夏祭りの飾り付けがされていて、広場には盆踊り会場ができていた。
ホテル内のポスターによると、次の週末にお祭りの本番があるとのことだ。
花火大会も8月19日とか。
既にすっかり涼しくなっている釧路なのだが、
盂蘭盆は新暦8月15日という感覚であるようだ。

盆と言えば、釧路市内には仏壇屋さんが多いことも興味深く思った。
かつて本願寺派の熱心な布教活動があった、と聞いたような記憶が(←曖昧)。

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釧路湿原には、旧石器時代から縄文時代、続縄文時代・擦文時代まで
かなりの長期間に渡って営まれたと考えられる北斗遺跡があり、
住宅跡や墓、貝塚などがこれまでに各種確認されている。
史跡北斗遺跡展示館には、その出土品や竪穴住居の復元などが展示されている。

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展示館を出て、表示のある遊歩道を700メートルくらい行くと史跡展望台があり、
ここに立つと、擦文の村の復元住居が見える。
周囲はどこまでも広がる釧路湿原だ。



さほど暑くはなかったが、湿原なのでやはり湿度が高く、
ハエやアブやその他正体不明の虫が次々と寄って来るので、
この季節の散策は、完全に素晴らしい経験だとは言えなかった。
よく思うことだが、「大自然のまっただ中」は、えてして不快だ(爆)。
雑草を抜き、虫を駆除し、周囲を清掃・消毒し、空調で温度湿度を管理し、
――つまり自然を一定程度「破壊」してこそ、我々は安心し快適になれる。
「こんな湿原で、一体どーやって暮らしとったんかね(^_^;」
という主人の感想は、まさに現代人かつ街っ子の実感こもるものであった。

我々はJR釧路駅前からバスでここまで来たのだが、
道道53号線沿いのバス道は、道のどちら側も緑・緑・緑という風景だった。
そう、「県道」でなくて「道道」。



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釧路二日目。
まずは、市街地の釧路川から釧路港の方角を眺めて写真撮影。

釧路に来て面白いと思ったのは、
市街地に、日中ほぼずっと放送が流れていることだ(笑)。
「ウェルカム・トゥ・釧路!」
「わたしたち、マーメイドくしろです!」
「市役所からのお知らせです」
等々、様々な放送が繰り返し響き渡っているのだ。
夕方5時とか6時とかに防災無線の点検を兼ねた音楽が流れる、
という類いとは、どうも趣が違うような気がした。

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釧路駅からメインストリートの北大通りを幣舞橋に向かっていくと
正面の傾斜地に大きな花時計が見える(写真左)。
1980年から、ぬさまい公園花時計として市民に親しまれているものだそうだ。
夜にはライトアップもされる。

一方、幣舞橋の横・海側には港文館という建物があり、
ここは明治41年に建造された旧釧路新聞社(現北海道新聞社)社屋を復元したもので、
石川啄木が記者として籍を置いた新聞社でもあり、観光スポットとなっている(写真右2枚)。
内部は資料館と喫茶店になっており、啄木の原稿や書簡、
啄木に関わった人達の写真や直筆の手紙などが保管・展示されている。

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それにしても、釧路市内は啄木歌碑めぐりができるほど啄木だらけで、
バスには「たくぼく循環線」があったりして、
街中で啄木を愛していることが感じられるのだが、
よく聞いてみたら、啄木が記者として釧路に滞在したのは、
たった(←敢えて言う)76日間なのだそうだ。
主人の(元の)業界だと、釧路転勤はだいたい2年間だったので、
私は勝手に、啄木も同じくらいは居たのだろうと誤解していた(汗)。

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散策  


釧路湿原展望台付近を散策。
釧路は最高気温23度、…と予報では言っていたが
日が当たると体感温度としてはもう少し高い気もする。
広島だと5月下旬くらいの感じ。
風があたるとひんやりするので、
釧路はもうじき夏が終わるのだなあと思う。

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一日よく歩いて、夕食は釧路ラーメンにした(^^)。
タクシーの運転手さんから聞いた話では、
釧路は炉端焼きのほか、回転寿司も人気だそうだ。
やはり漁港なので、ネタの素晴らしさは驚くばかりだと。
また、スパゲティ、というか「スパカツ」も人気メニューとのことだ。

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展望台から、広大な釧路湿原を眺めることができる。
以前、仁徳天皇陵や五稜郭に行ったときも思ったのだが、
こういうものはやはり全体像を眺めてこそ、という面があるのではないだろうか。
どこまでも広がる釧路湿原のまっただ中を行くのも悪くはないが、
それだと、どうかすると単に植物の間を歩いただけになりかねない。
限られた時間で「観るだけ」となると、私の趣味ではやはり展望台は外せないと思った。

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夏季のみ釧路~塘路間を走る『くしろ湿原ノロッコ号』に乗って、釧路湿原へ。
指定席券はほぼすべて売り切れの状態だったので、一号車の自由席に乗車。
二号車~四号車は展望車両になっており、二号車には売店もある。
始発から終点まで乗れば片道50分ほどだが、
展望台のある釧路湿原駅はその半ばあたりにある。
ここで降りて散策するも良し、湿原を横切る列車の旅を終点まで満喫するも良し。

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途中、岩保木水門(いわぼっきすいもん)を車窓から眺めることができる。


終点の塘路まで行くと展望台が無いということだったので、
我々は釧路湿原駅で降りて、展望台から湿原遠景を眺めるほうを選んだ。
ノロッコ号の本数が多ければ、しばらく散歩してから
次の便に乗って終点まで行けば良いと考えるところだが、
なにしろ一日一往復または二往復しかないので、選択するほかなかったのだ(^_^;。



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本日は釧路市街地に移動。二時間のバスの旅。
来た日に釧路空港から阿寒湖半まで乗った同じ路線だが、
今度は逆向きに阿寒湖から出発し、
釧路空港よりもっと南東のJR釧路駅まで乗る。

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JR釧路駅のある根室本線は、帯広―釧路―根室を結ぶ日本最東端の幹線で、
その昔、私が趣味で「ポケット全国時刻表」を買っていた頃に
いつか乗りたいものだと憧れていた路線だった。
できれば根室の先まで乗ってみたいのだが、今回はそれは叶わなかった。
……きっと、いつの日か、また。
時間かまわず、鉄道で北海道の海岸線沿いを旅するのが、私の究極の夢だ(^^)。

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地味に驚いたのは、駅前の横断歩道のゼブラが、
尋常でなく広範囲に渡っていたことだ(汗)。
スクランブル交差点、…でもないのか?
うまく言えないが、三叉路全面が横断歩道、という感じがした。
写真を撮りたかったが、携帯のカメラに入りきらず、断念(爆)。

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半日観光を終えてホテルに戻り、
夕方4時から、昨夜のハープとギターのコンサートが
今度はギャラリーで行われていたので、また聴きに行った。
前回とは違う曲目で、再び大変楽しめた。

そして夕食後は、阿寒湖の夜の遊覧イベント『夏希灯』。
昼間と同じ、「幸運の森桟橋」から遊覧船に乗ると、
アイヌの服装をしたスタッフの方が、イベントの主旨と、
阿寒湖に伝わるセトナの伝説について話して下さる。
いわく、アイヌの酋長の娘セトナと、使用人マニベは愛し合っていたが、
身分違いのため結婚を許されなかった。
月淡き夜、ふたりは丸木舟で湖に漕ぎ出し、湖底で結ばれることを願って身を投げ、
彼らの姿はやがてマリモとなり、湖の中で今も永遠に生き続けている、と……。

船は、パワースポットとされる水深40メートルの箇所で停まり
参加者が各自、願い事を書いた紙と、小さなLEDライトを
マリモに見立てたボール状の白い入れ物の中に入れ、船から湖に投げ入れる。
環境保護の観点からも、このボール状マリモは後日回収され、
願い事の紙だけが取り出されて、神社に奉納されるとのことだった。
時期が時期だけに、娘の願ったことは就活関係、
……ではないかと想像しているが、本人に訊いたわけではないので不明だ。
もしかしてまた西川貴教が紅白に出るようにと願ったかもしれぬ(爆)。

夜ならではの、幻想的な湖上の風景を堪能した。

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車中から撮影した、和む風景。
広大な耕地と牧草ロール。
特別に名前のあるような土地ではないが、
私は北海道のこういう光景がとても好きだ。
そのへんの都会人の感傷とは違う。…と私は勝手に自負している(^_^;。
なぜなら、私はそれなりの田舎の農村の出であるからだ。
うちの界隈に昔からあり、私が肌で感じて育ったものの、
物凄い大規模バージョンがここで見られるから、
私は北海道の農場の風景に、深い憧憬の念を覚えるのだ。

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想像以上に海水浴場だった屈斜路湖畔(笑)。

天気が良いと気温30度くらいはあり、良い具合に砂浜も広がっているので、
周辺はキャンプ場としてテントが密集していた。
そして水辺のほうに行くと、「海の家」的な売店があり、
湖では海水浴場さながらに、皆てんでに泳ぎ、ボートに乗り、
潮干狩りをしたりパラソルの下で休んだりして、夏のレジャーを楽しんでおり、
厳密には淡水のカルデラ湖であって海でない、ということは問題にされていなかった。
あとで調べたら、用語としてはこれは「海水浴」でなく「湖水浴」であり、
このような場所は「海水浴場」ではなく、「水泳場」というのだそうだ。
国内ではほかに琵琶湖や猪苗代湖なども「水泳場」と言える。
ただ、この砂湯は掘ると温泉が出るので、温泉堀をしている人達がいる、
というところが、屈斜路湖ならではの特別な楽しみ方だった。

しかし通訳ガイド試験の頃、屈斜路湖というと
『冬期に全面結氷し5~10kmほどの御神渡りが形成される』とか
『白鳥の飛来する湖』などということばかり暗記していたのだが、
夏に全面海水浴場化するとは、……全然、知らなかった(^_^;。
北海道内だと、ほかにどこか泳げる湖ってあるのだろうか。
これまで私が来たのは夏ばかりなのだが、
支笏湖で人が泳いでいたという記憶は無いような。
洞爺湖ではボートは見たが、さて水泳場になっていたかどうか……?

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ときに、私が小学生だった頃、……今から40年くらい前か(汗)、
小学館の学習雑誌で「世界の七不思議」みたいな特集があり、
魔の海サルガッソー海とかネス湖のネッシーなどと並んで、
小さく取り上げられていたのが屈斜路湖のクッシーだった。
クッシーは、今もなお愛され、ゆるキャラ的な地位を確立していたことを
私は今回、実際に屈斜路湖を訪れて確認した。



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