転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



それにしても涼しい。
私には、薄い長袖を羽織るとちょうど良い程度だが、
冷え性でない人なら、半袖Tシャツでも十分いられるだろう。
この気温なら、夜の散歩は暑からず寒からず、心地よい。
ああ、釧路は良いとこだなぁ(^^)。
街の雰囲気も、港の情緒も、私は大変気に入った。

岸壁炉ばたの近くでは、若い人たちが大勢、
スマホ片手に岸壁に集まっていて、
もしかしたらポケモンGoをやっているのか?とも思うのだが、
とにかく、何度も書いたが、結構な人出だ(^_^;。
皆さん、昼間はどこにいらしたのでしょうか(笑)。

Trackback ( 0 )




釧路港の岸壁炉ばた。
新鮮な魚介を各自、炭火で焼いて食べる。
港町情緒が素晴らしい~。
釧路フィッシャーマンズワーフMOOに隣接した屋外にあり、
潮風に直接あたる場所であるため、夜にはとても涼しい。
……と喜んでいられる季節も、そろそろ終わりなのだろう。
きっとこの場所は、このあと、じきに「寒い」と言うべき季節になるはずだ。

Trackback ( 0 )




最後の夜が始まる。
遙かに見える、釧路港の夕暮れ。

釧路はなぜか、昼間には通りにほとんど人が歩いていないのに
夕方から、やたらと人出が多くなり、あちこちの店が混雑する(笑)。
もともと土地が広いのだし、昼も夜も誰も居ないのなら、
それだけ人口密度が低いのだろう、という理解で良いと思うのだが、
目下、釧路には人は居る。否、大変に人が多い。夕刻以降限定で。
主人いわく、
「釧路の人は、昼働かないで夜遊んでいるのか(^_^;?」
んなワケあるまい。↑お盆だからか……??

(サムネイルをクリックすると大きめ画像が出ます)


繁華街は夏祭りの飾り付けがされていて、広場には盆踊り会場ができていた。
ホテル内のポスターによると、次の週末にお祭りの本番があるとのことだ。
花火大会も8月19日とか。
既にすっかり涼しくなっている釧路なのだが、
盂蘭盆は新暦8月15日という感覚であるようだ。

盆と言えば、釧路市内には仏壇屋さんが多いことも興味深く思った。
かつて本願寺派の熱心な布教活動があった、と聞いたような記憶が(←曖昧)。

Trackback ( 0 )




釧路湿原には、旧石器時代から縄文時代、続縄文時代・擦文時代まで
かなりの長期間に渡って営まれたと考えられる北斗遺跡があり、
住宅跡や墓、貝塚などがこれまでに各種確認されている。
史跡北斗遺跡展示館には、その出土品や竪穴住居の復元などが展示されている。

(以下、サムネイルをクリックすると大きめ画像が出ます)



展示館を出て、表示のある遊歩道を700メートルくらい行くと史跡展望台があり、
ここに立つと、擦文の村の復元住居が見える。
周囲はどこまでも広がる釧路湿原だ。



さほど暑くはなかったが、湿原なのでやはり湿度が高く、
ハエやアブやその他正体不明の虫が次々と寄って来るので、
この季節の散策は、完全に素晴らしい経験だとは言えなかった。
よく思うことだが、「大自然のまっただ中」は、えてして不快だ(爆)。
雑草を抜き、虫を駆除し、周囲を清掃・消毒し、空調で温度湿度を管理し、
――つまり自然を一定程度「破壊」してこそ、我々は安心し快適になれる。
「こんな湿原で、一体どーやって暮らしとったんかね(^_^;」
という主人の感想は、まさに現代人かつ街っ子の実感こもるものであった。

我々はJR釧路駅前からバスでここまで来たのだが、
道道53号線沿いのバス道は、道のどちら側も緑・緑・緑という風景だった。
そう、「県道」でなくて「道道」。



Trackback ( 0 )




釧路二日目。
まずは、市街地の釧路川から釧路港の方角を眺めて写真撮影。

釧路に来て面白いと思ったのは、
市街地に、日中ほぼずっと放送が流れていることだ(笑)。
「ウェルカム・トゥ・釧路!」
「わたしたち、マーメイドくしろです!」
「市役所からのお知らせです」
等々、様々な放送が繰り返し響き渡っているのだ。
夕方5時とか6時とかに防災無線の点検を兼ねた音楽が流れる、
という類いとは、どうも趣が違うような気がした。

**************

釧路駅からメインストリートの北大通りを幣舞橋に向かっていくと
正面の傾斜地に大きな花時計が見える(写真左)。
1980年から、ぬさまい公園花時計として市民に親しまれているものだそうだ。
夜にはライトアップもされる。

一方、幣舞橋の横・海側には港文館という建物があり、
ここは明治41年に建造された旧釧路新聞社(現北海道新聞社)社屋を復元したもので、
石川啄木が記者として籍を置いた新聞社でもあり、観光スポットとなっている(写真右2枚)。
内部は資料館と喫茶店になっており、啄木の原稿や書簡、
啄木に関わった人達の写真や直筆の手紙などが保管・展示されている。

(以下、サムネイルをクリックすると大きめ画像が出ます)



それにしても、釧路市内は啄木歌碑めぐりができるほど啄木だらけで、
バスには「たくぼく循環線」があったりして、
街中で啄木を愛していることが感じられるのだが、
よく聞いてみたら、啄木が記者として釧路に滞在したのは、
たった(←敢えて言う)76日間なのだそうだ。
主人の(元の)業界だと、釧路転勤はだいたい2年間だったので、
私は勝手に、啄木も同じくらいは居たのだろうと誤解していた(汗)。

Trackback ( 0 )