転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



森岡 葉さまが、今度は『遊藝黒白』から新たに、
クリスチャン・ツィメルマンのインタビューを翻訳して下さっています。
量が多い上、森岡さまご自身もお仕事のかたわら訳して下さっていますので、
連載のかたちで、少しずつ掲載して行かれるようです。
楽しみが続くのも、また良いものです(^^)。
森岡さま、ありがとうございます。どうかご無理なさいませんよう。
こちらこそ、ゆっくり、じっくりと拝見させて頂きます。

『遊藝黒白』~クリスティアン・ツィメルマン(1)~May Each Day

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ポゴレリチの来日中、ヨーロッパのポゴファン仲間の男性二名が
しょっちゅうメールをくれた。
用件は、私のことなんかどうでも良いのであって、
『我々のマエストロは、きょうは、どうしている!?』、
これに尽きるのだった。
とにかく朝に晩にメールが来るのだ。
どんだけ好きなんか。……って私に言われたくないか。

私は出来る限り、彼らの期待に添うように努力した。
演奏会を聴いた日には、勿論その感想を、
演奏会のなかった日も、KAJIMOTOのサイトから得た情報や
日本語の個人ブログや掲示板に出ている、各地の演奏会の記録・感想、
あるいは、これからあとの予定などを、毎回、簡潔に彼らに伝えた。
というか私の英語では、簡潔に伝える以上のことは不可能だった(汗)。

その都度、彼らはちゃんと解読して返事をくれた。
ドイツ在住の某氏は、最初こそ「敬具」などとかしこまっていたが、
私からの報告が重なるに連れ、「Kiss」になり「Embrace(抱擁)」になり、
昨夜はとうとう、「オー、マイ・ディア・ソウルシスター!!」と来た。
今回の来日公演は、長年のファンとして見ても本当に見事なものが続いたから、
私の感動や興奮が彼にも伝染したのだろうが、それのせいで、……いやお蔭で、
ヨーロッパの白人男性のソウル・ブラザーができるとは、思わなかったね。

もうひとりは、クロアチア地元のポゴファン青年だ。
Yahoo!のポゴ・グループで知り合ったのだから、5年以上は付き合いがあり、
彼が少年の頃から、ポゴレリチを神のごとく尊敬していることも聞いているし、
また彼から、ヨーロッパでの演奏会の様子など折に触れて教えて貰っている。
その彼もまた、今回のツアー関連の私の報告を喜んでくれた。
どんなことでもひとつひとつに盛り上がれるのは、ファンならではで、
書いたこちらとしても嬉しいし、とても有り難いことだった。
最後の名古屋公演が無事に終わったという私のメールに、
彼はことのほか喜び、感激と感謝の言葉を書き連ね、最後に、
「本当に本当に!ありがとう、ヨヒコさん!!」

え~……。
なんか、そんな名前のヒト、『古事記』に居なかったっけか……?

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・ポゴレリチ名古屋公演から、きょうで1週間が経った。
今回は、演奏会後に発熱したり病院送りになったりした人は
私の観察ではさほど多くなかったようだ。
人によっては、もともとが多忙だったり疲れていたりしたために、
まともに食らって具合が悪くなった、という事例もやはり若干あったが、
リサイタルを聴いたせいで、各地で流行病みたいに次々と体調不良が出た、
という2010年5月のような事態は、今回は避けられているように思われる。
私も一応、今のところは普通に日常生活を成り立たせている。
頭の中は、まだまだおかしいのではないかという気がするが(汗)。

・先月の話なのだが、『リカちゃんのおばあちゃんは56歳!
(マイナビニュース)という記事があって、リカちゃん人形の一族に
私とは比較にならぬほど若くて美しい『おばあちゃん』が登場したことを知った。
二代目リカちゃんのときまでは居た、CAのリエお姉さんの姿はやはり無く、
彼女は黒歴史として葬られたのだな、と例によって感慨深く思うと同時に、
私は久しぶりに、この記事でリカちゃんのパパの消息を知って、また感心した。
このほど『おばあちゃん』と同時発売される新しいなんとかハウスは、
『リカちゃんのパパ(ピエール)が、おばあちゃんのために建てた家』
という設定になっているのだそうだ。
このパパ、フランス人で、職業はオーケストラの指揮者です。ご存知でしたか。
40年くらい前には、確かリカちゃんは、
私の悩みは、フランス人のパパの行方がわからないこと
と言っていたはずで、あの頃、香山家では誰も彼の行方を把握していなかった。
連絡さえ取れない指揮者って、当時どんだけ売れてなかったのか。
それが今や、妻の母のために家を建てたという。
随分出世なさっていたのだった。

・金環日食で世の中が盛り上がっているが、
明日の広島は場所的に、残念ながら部分日食しか見られない。
それでも太陽の右下が大きく欠けた状態を、観察することはできるそうだ。
そういえば前回の部分日食のとき(2009年7月22日)、
道行く人が誰も彼も、途中で立ち止まって空を見上げていて、
結構、危険だったことを思い出した。
網膜も危ないが、その前に車に轢かれそうで。
明日の朝は、上を向いて歩かないように、娘に言っておかなければ。

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きょうは大阪で、たかこ(和央ようか)さんのライブがあったのだが、
……さすがに、行けなかった。
気力・体力・金力、根こそぎポゴレリチに持って行かれた直後なので(泣)。

80年代には、ポゴレリチとRCサクセションが私の中で同時進行だったが、
90年代後半から2000年代にかけては、ポゴレリチとたかこさんが同時で、
特に90年代の後半に神戸に住んでいた頃は、自由自在で天国だった(殴)。
育児はあったが、介護生活に突入していなかったので、気分的にラクだったし、
ポゴレリチは大阪公演が当時よくあったお蔭で、これだけは逃さずに済み、
一方、たかこさんのほうも宝塚大劇場は阪急に乗れば簡単だったから、
朝、幼稚園に娘を送ったその足で、たかこさんの入り待ちをして、一旦帰宅し、
午後、娘を迎えに行ってそのまま一緒に連れて出て、3時公演を観たりしていた。

その後、今治転勤になってからは、そこまで思い通りには出来なくなり、
時々に応じて、私は選ばざるを得ないことが、多くなった。
例えば、発売になったばかりのDVD『ワルシャワの覇者』を買うか、
それとも、お茶会+宝塚大劇場二泊三日5公演観劇を取るか、とか(殴)。
今治から広島転居・マンション購入に至るまでの5~6年の間は、そうしたことを、
介護(最初は遠距離、次には同居、最後は同じ市内の別世帯から通い)との
兼ね合いも考えながらせねばならなかったので、日程調整には苦慮したものだった。
中でも、あの頃の私が最も恐れていたのは、ポゴレリチの復活・再来日と、
たかこさんのサヨナラ公演が重なるのではないか、ということだった。
2000年以降、療養と活動休止の長かったポゴレリチが、再び日本に来るときと、
トップ生活に別れを告げ宝塚を去るたかこさんの、一生に一度の大イベントが
もしも重なったりしたら、私は文字通りクビが回らないと思った。

幸い、心配した最悪のバッティングは避けられたのだが、
そのポゴレリチの復活公演(2005年10月23日)の翌々日に、
たかこさんの宝塚退団発表があったのは、なかなか数奇な巡り合わせだった。
そして、その後もどういうわけか、ポゴレリチとたかこさんはニアミスが多く、
今回に限らず、2007年1月も、ポゴレリチの大阪公演の翌日から、
東京でたかこさんのライブが始まったりした。
……いやまぁ、冷静に考えれば、私は一貫してポゴファンをやっているから、
その途上で新たに登場した道楽が、彼のなにがしかとカチ合う、
ということに過ぎないのだとは思うのだが、
しかし、同じく長くやっている音羽屋は、カブったことないしな……。
音羽屋は「来日」ではなくて、ほぼ一年中どこかで公演しているし、
お披露目だのサヨナラだのイベントもないから、意識しないだけか。

ときに、アクセス解析を見ると、拙ブログに来て下さる方々の「検索キーワード」は、
このところずっと「ポゴレリチ」「ポゴレリッチ」関係がダントツ、
というかほとんど全部を占めていたのだが、
昨日はライブ初日だったため、「和央ようかブログ」が登場していた。
明日は、この関係がもっと増えるかもしれない。
申し訳ありません、行ってなくて。
今朝は、『和央ようかネバーの千秋楽の出待ち』という検索語もあった。
すみません、それも行ってません(爆)。
2000年8月、たかこさんのお披露目初日の宝塚大劇場の入り待ちは、行った。
しかし2006年の退団公演の千秋楽は、大劇も東宝も行けていないのだ
(大劇場サヨナラの前楽には行った)。
傍目には、何にでもトチ狂って追っかけをしているように見えるでしょうが、
その実、結構、私はいろいろと大事なものに限って逃している(涙)。

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・ポゴレリチ来日騒動(笑)が無事に終わったので、昨日は家じゅうを掃除し、
晩は主人の好物である「ツナとナスの中華丼」を作った(^_^;。
ポゴ氏関係に限らず、「道楽」は私本人の都合だけで出来るものではなく、
家族皆が元気で、快く理解を示してくれているからこそなので、
心から感謝したいと思った。
ありがとうございました。本当に良い2012年でした(爆)。

・なくしたかと思っていた今年の手帳を、昨夕ようやっと発見した。
途中であれこれと旅行用の鞄に入れ替えて持ち歩いたのだが、
最後の名古屋は宿泊でなかったために、手帳は家に置いて行ったようだった。
普段使いのバッグの中に、普通に入っていた。
そこに入れたということなど、全然記憶がなかった。

・中川右介著『山口百恵  赤と青とイミテイション・ゴールドと』(朝日文庫)
を、今、読んでいる。
評伝の形式で、私の一面的な知識では全く知らなかったことも多々書かれており、
当時の時代背景も改めて思い出すことなど多く、大変面白い。
この本は、実はほとんど発売と同時に買ってあったのだが、先に主人に読まれて、
次になぜか娘が読んでいて、なかなか私のところにまわって来なかった。
山口百恵が引退したのは、私が高校1年生のとき(1980年)だったが、
現役時の彼女を全く知らない娘までもが関心を示すとは意外だった。
娘によれば、彼女の観るテレビ番組に、たまに録画で登場する山口百恵は、
低めの歌声と物事に動じない態度とで、とても格好良く見えていたそうだ。
それでこの本を見て、
「あの山口百恵のことが書いてあるのか」
と興味を持った、とのことだった。娘は、
「いろいろわかった。百恵ちゃんの雰囲気について、納得できたことも多かった」
と本を返し、続けて私の本棚を物色して、
「あ、これ百恵ちゃんが主演したやつ」
と、今度は入れ替わりに『伊豆の踊子』を持って行った。
……凄い認識で、川端康成先生すみません。
ちなみにその『伊豆の踊子』の表紙は、荒木飛呂彦による限定カバー(笑)。

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森岡 葉さまが、引き続き、『遊藝黒白』から
ダン・タイ・ソンのインタビュー全文を翻訳して下さいました。

『遊藝黒白』~ダン・タイ・ソン インタビュー (続き)~(May Each Day)

この本はどこを切っても実に読み応えがあって、素晴らしいですね。
森岡さまはこのあと、ツィメルマンの項をご紹介下さるようです。
お忙しいところ、本当にありがとうございます。
今後も大変楽しみです。

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・ポゴレリチが、帰ってしまった。
正確にはまだ、ここ数日は台湾に滞在しているので、
大西洋のあっちまで戻ってしまったわけではないのだが、
とりあえず、日本ツアーは終わってしまった。
そして、こちらは再び、次に聴ける機会を、あてもなく待つ身となった。
勿論、これで良いのだとは思っている。
ああいう演奏を毎月聴いたら、私の命は早く尽きるだろうから。

・もはや今の私は、気力も体力も金力も枯渇している。
今月の前半で、何もかも使い切った。
既に年の暮れになった心境だ。
しかし、ふとメールボックスを見ると、チケットぴあから
『「尾上菊五郎」関連公演のチケット情報』
が来ているのであった。
ああ、そうだ、音羽屋の公文協があった。
これを頼みに、これから長い年末を過ごそう。

・わかっているのだ、仏検が迫っていると(苦笑)。
なんたる現実的な話題なんだ。
フランス語の「ふ」の字もない毎日、あと一ヵ月でなんとかなるのだろうか。
ならんわな、普通(爆)。

・ポゴレリチの騒動で、金沢だ東京だ名古屋だとドサまわりをしていたら、
私は、今年の手帳をなくしてしまった。
途中でバッグをかえたのが失敗だった。
おかしいな~、どこに入れたのかな。
お蔭でこのところ毎日、明日何があるかも、よくわからない。
でもま、私の明日の予定がわからないことなんて、
ポゴレリチの演奏がどうなるかに較べたら、実に些細な問題だ、
……と思えるようになってしまっている今の自分が、怖い(殴)。

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(演奏会の感想については、いつものように改めて書きたいと考えているのだが、
そのときには恐らく触れる機会がないであろう、周辺の記憶に関するメモ、その他)

・今回の来日公演では、ポゴレリチは開場したあとも必ず、
舞台にいてピアノを弾き続けていた。
金沢のときは、前日に追加が発表されたショパンの夜想曲の弱音部分を
とても丁寧に弾いていて(ちなみに楽譜は見ていなかった)、
東京の協奏曲の夜は、3度と6度の和音の上行と下行を中心に確認していた。
そして名古屋のリサイタルでは、特に何の曲ということはなく、
何種類もの和音と、それをつなぐスケールとも言えない不思議な音の連なりを、
非常に静かな音から一定の音量のある音まで、ゆっくりと、
幾度か繰り返して響かせ、音色と音響を確かめている様子だった。
どこの会場もそうだったが、この段階では開演していないわけだから、
観客は少しくらい自由に行動しても良い筈だったのだが、
皆、足音もたてないような歩き方で、私語も極限まで控えられ、
結果的にこのリハーサルがあったために、最初から演奏会の雰囲気が
ポゴレリチによって支配され、決定されてしまったような印象があった。

・担当の方が時間を知らせに出て来られて、ポゴレリチが姿を消すと、
間無しに開演5分前のチャイムが鳴り、開演前のアナウンスが始まったのだが、
一般的な注意事項のあと、「なお、本公演の休憩時間は……」と
言い出したので、私は反射的に前回の福岡公演のことを思い出し、
「『無い』のかっ!?」と血の気が引いた。そうしたら、
「……は、20分間となっております」と続いたので、
「脅かすんじゃねー(--#)」と、つい内心で毒づいてしまった(←身勝手)。

・リサイタルでは、最後のリストのロ短調ソナタが終わると、
ポゴレリチが、自分で椅子をピアノの下に仕舞ったので
片足で蹴り入れたりはしなかった。ちゃんと両手で片付けた)、
もうアンコールは弾かない、ということははっきりしていたのだが、
それでも大きな拍手が鳴り止まなかった。
カーテンコールが繰り返され、スタンディングで讃える人も結構あった。
金沢でも東京でもそうだったが、ポゴレリチは幾度ステージに出てきても、
楽譜を離そうとせず、とても大切そうに両手で持ったまま、客席に頭を下げた
(東京の協奏曲の夜は、席が近くてたまたま見えたのだが、
表紙にキリル文字で『ショパン』と書いてある楽譜だった。
ロシア語のものらしく、ある程度、以前から使用している楽譜だろうと思われた)。
彼にとって楽譜が今どのような存在なのかは、想像するしかないが、
単なる「譜面」でなく、何かが宿っている大事なものなのかもしれなかった。

・どこの会場でも、ポゴレリチの奥様をお見かけした。
2005年以降、日本へはこれで四度目だが、いつも奥様がご一緒で、
海外の記事を見ても、世界中の演奏会に同行されているのだろうと思われた。
おそらく、ポゴレリチが望んだから奥様はそうなさっているのだろうが、
彼女の献身のお蔭で成り立っている演奏活動であることが十分感じられ、
ファンとして感謝に絶えなかった。
本当に遠くから奥様に手を合わせる心境だ、私は。
……もし私が主人の出張に全部同行して、毎回、仕事先まで付き添うとなったら、
と考えると、そのウンザリ具合が想像でk……(以下略)。

・帰りには、私は名古屋駅で『きしめん』を買った。
先月、田村響を聴きに名古屋に来たときに買って帰ったら、
娘がいたく気に入り、今回は最初から『きしめん』御指定だったのだ。
『ざるきし半生』四箱を買い、紙袋を二重にして詰めて貰った。
広島駅から家までさげて帰る間、ガチで腕が抜けそうだったぞ。
一応、演奏会というハレの日で、自分比では盛装しているというのに、
きしめんと旅行かばんを両手に提げる「田舎持ち」スタイルになり、
半端なく重くて、ったく、こっちが半死半生だった。

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タイトル通りです(爆)。
昨日のポゴレリチが、あまりにも、強烈過ぎました。

************

私はこれまで、91年5月のポゴレリチが、彼のピアニスト人生で、
最高に輝いていた時期だったかもしれない、とずっと思って来た。
その後の彼も見事ではあったが、私の中では91年来日公演を超えるものはなく、
90年代半ばからは、今後は余韻のように、あるレベル前後の演奏をしながら、
このまま緩やかに年を取って行くのかな、と想像したこともあった。

それが、96年に最初の夫人が亡くなってからは、否応無しに、
彼がピアニストとして自身の変革を迫られることになったので、
私は徐々に、これは危機的状況かもしれないがチャンスかもしれない、
と感じるようになった。
それで、冗談めかして、「91年5月が『前期ポゴレリチ』の頂点」
という言い方を、掲示板などで使うようになった。
『後期ポゴレリチ』がこれから始まる可能性ができたからだ。

2005年から2010年の来日公演で聴く限りにおいて、
あの頃の彼は、少なくとも傍目には混迷の時期にあると思われた。
私が、2010年来日公演のKAJIMOTOのパンフレットの文章を書いたとき、
『ディオニュソスの狂乱』という題を使ったのは、
あの時点でのポゴレリチは『狂乱』のただ中にあると思っていたからであり、
また、もしこれを抜け出すことが出来たなら、
神話のディオニュソスのように、神性を獲得した強大な存在になり得るのでは、
……いや、ファンとしては、きっといつの日にか、そうなって欲しい、
と考えていたからだった。

しかしそれが、僅か二年で実現の方向性が見えてくるとは、
全く想定していなかった。
あと数年くらいはかかるか、場合によってはもっと老年になってからの話か、
と想像していた程度だった。

たった二年で、ポゴレリチの変化は、あまりにも急激だった。
彼に何があったのか全くわからないが、
そして、これで本当に良いのかどうかも、私などには判断できないことだが、
とにかく、昨日の演奏は私が予想だにしていなかったものだった。
また、80年代のような、自分を追い詰める破滅的な方向の「自我」も、
昨日のポゴレリチからは、私は感じなかった。
ポゴレリチは、それだけまた大きくなったのだと思った。
あの演奏に耐えられるどころか、それを自在に操ろうとするほどに、
巨大な演奏家になったのだと。

**********

名古屋でもまた大勢の方にお会いすることができました。
皆様本当に親切にして下さり、楽しいお話もお聞かせ下さいまして、
心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。
しらかわホールは初めて参りましたので、
地元の方にはいろいろとご案内も頂き、感謝しております。
一方で、すれ違いになってしまった方々には心よりお詫びを申し上げます。
次の機会に、またお声をおかけ下さいましたらと願っております。
お世話になりました。楽しい一日を、ありがとうございました<(_ _)>。

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物凄いものを聴いてしまった。
こんな演奏が実現するのは、もう五年くらいあとかと思っていたのに。

ポゴレリチ最強。圧巻だった。


私の2012年は、まっとうされました。

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