同じジェシーでも、ジェシー・ノーマンはソプラノで、
一方、こちらジェシー・ジャクソンは、男性の、政治家だ。
彼は、アメリカの黒人リーダーとして圧倒的な支持を得ているので、
現在では、日本でもかなり有名だと思う。
この日記を始めたときから一度は触れたいと思っていたことなのだが、
実は私は二十代のとき、ちょっとした偶然から、CNNで、
ジェシー・ジャクソンの、あるスピーチを聞いて、
ただごとでない感動をしてしまい、以来、この人の名を覚えたのだ。
そのときのスピーチの文章を、私はつい最近、ネットで発見した。
大統領選挙の年の何かだった、という記憶があったのだが、間違いはなく、
それは1988年7月の、アメリカ民主党大会でのスピーチだった。
大統領選挙に向けて、この年、最終的に民主党候補となったのは、
当時のマサチューセッツ州知事マイケル・デュカキスだったのだが、
彼に次ぐ票数を得たのが、市民権活動家ジェシー・ジャクソンだった
(この年の選挙は、最終的には共和党のジョージ・ブッシュの勝利)。
Jesse Jackson: 1988 Democratic National Convention Address
24歳だった私は、偶然からこの演説が流れてくるのを聞き、
初めはただ、英語を聴き取る練習、くらいの、軽い気持ちだったのに、
途中から何もかも忘れて聞き入ってしまい、
最後には涙が止まらなくなったものだった
(英語のスピーチを投げ出さず最後まで聞くなど、私には快挙で、
英語を聞いて泣けたというのも、後にも先にもこのときだけだった・爆)。
長い演説なので、ここで全文を即座に和訳して紹介することは、
非力な私には不可能なのが残念なのだが、
ご興味がおありの方には是非、音声を再生しながら、
彼のスピーチ全体を追って頂ければと思う。
彼は決して自分本位な文章の組み立て方をしないので、
聴き取りやすいし、原稿も大変に読みやすい。
彼の言葉は、それを届かせるべき人たちのことを
まず第一に考えて構成されたものなのだ。
偉大なるキング牧師の引用と、彼への賛辞、
支援者・家族の紹介と彼らへの感謝、
種々の人種や民族が入り乱れるアメリカの特殊性と、
そのような場所であるからこその、団結・平等の尊さ、
あらゆる差別の問題と、現実を直視することの重要さ、
ドラッグの問題、国際関係の課題、レーガン政権の功罪、
さらに、理想とされる政治家とは、法曹とは、医師とは、教師とは、
等々、どの段を取っても、うわべではない真情が熱く語られ、
言葉の持つ力の大きさを改めて痛感させられるが、
中でも、特に圧巻なのは、彼が自分自身の出自を語った、
スピーチ終盤の部分だ。
「I understand. I know abandonment, and people being mean to you,
and saying you're nothing and nobody and can never be anything」
(見捨てられ、世の中から蔑まれ、お前は最低だ、
どうにもならない、なれっこないんだと言われるのが、
どういうことであるか、私は知っている。私にはわかる。)
単なる知識や想像力から理解できると言っているのではなく、
彼は、このように差別されることの意味を本当に知っているのだ。
なぜなら彼自身が、かつては、そのような扱いを受けた人間だったからだ。
彼は決して、最初からテレビで演説するような人間ではなかった。
彼は16歳の母親のもと、私生児としてスラムに生まれた。
母親も祖母も、名もない、貧しい労働者だった。
母親は毎日、朝早くから夜遅くまで働いて、幼い子供達を育てた。
下層階級の出だ、生まれが卑しいと、
世の中で見下げられることの現実を、彼は身をもって知っていた。
それゆえに、彼こそは真の、民衆の代表だった。
「when you see Jesse Jackson,
when my name goes in nomination,
your name goes in nomination.」
(あなた方がジェシー・ジャクソンの名を見るとき、
私の名が指名されるとき、
あなた方の名も、ともに指名を受けるのだ)
ジェシー・ジャクソンはキング牧師に連なる後継者のひとりで、
おおまかに言えば左翼的理想主義を掲げるキリスト教派に属する人だ。
この人の活動内容そのものをどう捉えるかは、各自の価値観にもよると思う。
彼を好まない人も少なくないかもしれない。
だが、どのような主義主張を持ち、どのような陣営に属する人であれ、
ジェシー・ジャクソンが、極めつきの、スピーチの名手であることは、
認めざるを得ないのではないか、と私は思っている。
彼の語る言葉は芸術に等しい感銘を人々に与え得る。
彼こそは現代のカリスマたる、天与の才を持つ人だ。
突き放して見れば、こうした人は、言葉ひとつで、
巧みに人心を操る、とも言える。
少し方向が違えば、演説のみで人々の心をひとつにし、
結果、皆を戦場へと駆り立てることも可能だろう。
だが今、このうえなく幸福なことには、
ジェシー・ジャクソンは、公民権運動の活動家だ。
彼の言葉は、人々に行動する勇気を与えるが、その勇気は、
我々を戦争とは正反対の方向へと、強く牽引するものだ。
何より彼の言葉が素晴らしいのは、
一貫して「positive」であるという点だと思う。
彼の語ることは、常に変わらず力強く、希望に満ち、
積極的で、そして肯定的だ。
I am somebody(YouTube)
これはいつ頃の映像かわからないのだが(1971年?)、
かなり昔の、ジェシー・ジャクソンだと思われる。
セサミ・ストリートに出演したときの映像だということだ。
肌の色が違っても、言葉が違っても、貧しくても、小さくても、
過ちを犯しても、どこの生まれであっても、私は「somebody」だ、
と繰り返される、彼の自作の詩で、とてもシンプルなメッセージなのだが、
ジェシー・ジャクソンの根幹にあるものをはっきりと表現している、
とても貴重な映像だと私は思っている。
ここでのsomebodyは辞書的には「重要人物・偉い人」だが、
言うまでもなく「社会的地位の高い人」のことではない。
「大切な人」「価値ある人」くらいの意味合いだ。
皆が同じく、一人残らず、(神の前で)尊重されるべき人間だ、
というのがジェシー・ジャクソンの、子供達へのメッセージなのだ。
先に挙げた、88年民主党大会での演説の中で、彼は、
「おまえはnobodyだ」と貶められることの意味を知っている、
と自らの体験をもとに語っていた。
そして、nobodyではない、somebodyだ、
誰も彼も等しく、一人残らずsomebodyだという彼の言葉は、
社会の片隅で身を潜めるようにして耐えている人々にこそ、
熱く真摯に語りかけられたものだったのだ。
「I was born in the slum, but the slum was not born in me.
And it wasn't born in you, and you can make it.
Wherever you are tonight, you can make it.
Hold your head high; stick your chest out. You can make it. 」
(私はスラムに生まれたが、私の中にスラムは生まれなかった。
あなた方の中にも生まれなかった。誰だって、やればできる。
今夜あなたがどこにいようと、あなたには出来る。
高く顔をあげ、堂々と胸を張ろう。あなたには出来るのだ。)
Keep hope alive(希望を持ち続けよう)!
の力強い連呼ののち、圧倒的な大歓声と喝采の中、
I love you very muchと繰り返して、演説は終わっている。
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