転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



子供人口:26年連続減少 総人口比でも世界最低水準に(毎日新聞)
『「こどもの日」に合わせ、総務省は4日、4月1日現在の子供(15歳未満)の推計人口を発表した。過去最低だった昨年より14万人少ない1738万人で、26年連続の減少となった。総人口に占める子供の割合も昨年より0.1ポイント低い13.6%で、3年連続で低下。子供の割合は米国(20.5%)、中国(19.8%)、イタリアとドイツ(ともに14.1%)などを下回り、世界最低水準となっている』

(以下、どシロウトの単なる思いつきによる感想なので、くれぐれも、
詳細に統計的年金問題などに照らし合わせて真剣に怒らないで下さい。)

私が子供の頃、・・・つまり人口が減少傾向になかった昭和40年代、
学校で、日本は人口密度が高いから貧しいのだと習った。
いくら貿易黒字でも、国民総生産が世界第何位に上昇しようと、
日本人の生活は依然として、本質的豊かさには程遠い、と。
なぜなら、狭い国土のうちの、さらに狭い狭い平野に、
多すぎる人間がひしめいているために、住環境が劣悪で、
その大勢が生産活動に従事するせいで、自然破壊が進行中であり、
乏しい資源を保護するいとまもない、と。
また、人口密度が高いのは概して発展途上国の特徴であり、
世界的視野で見ても増え続ける人口は地球の破滅に繋がる、
要するに、人口はもう増えないほうが良い、
はっきり言えば、もっと少ないほうが良かったのに、と教えられたのだ。

多すぎる人口が日本の国土を破壊して来た、という説が正しいとすれば、
人間だって生物だから、増えすぎたら居場所がなくなって共倒れだ、
という本能的危機感を持つのはあり得ることだ。
死なないで老齢まで生き残る人が増えればそれだけで人口は増加する。
自然の流れとして、人口爆発を本能的に回避しようとするなら、
まさか既に生きている人間の数を減らすことはできないから(!)
産まれる子供の数のほうが抑えられていく、というのは当然だろう。
そうしたら、総人口が減少傾向に転じるとともに、
必然的・一時的に、全人口に占める高齢者の割合は高くなる。

だが、時間がたてば、今大勢いる高齢者には順番に寿命が来るのだから、
やがて、少ない子供らがその人数のまま、少ない高齢者になって行き、
若者と高齢者の人口の釣り合いが今よりは取れてきて、将来的に、
かつて願った、適正な人口みたいなところに近づくのではないか??
何人が適正だと言うのですかっ!などと青筋立てて突っ込まれると、
いやその、数字はよくわからなくって、つまりテキトーなんですが(逃)。

良いか悪いかはともかく、子供が減った御陰で、今時の学校は、
昔なら夢のようだった、少人数クラスが現実のものとなっている。
昭和40~50年代には、小中高とも、ひとクラス50人前後が押し込まれ、
教室は端から端までびっちりと埋まって実に窮屈だったものだが、
今や40人学級が確実に実現され、学校はどこも、広々と使えているではないか。
このこと自体は、おおざっぱに言って教育環境の改善の部類だろう。
それに、空気を汚し騒音をたて経費をかけて新校舎を建築する必要もなくなった。
人口が減ることで解決された問題、というのは確かにあるように思われる。

平均寿命が延びた今、高齢者は割合だけでなく人数的にも大勢いる。
このうえ、子供の数まで増えたら、
結果、いつまでも日本の総人口は多すぎるままで、
家が狭いー、土地が高いー、空気が汚いー、
と言い続けるしかないのでは???
子供が増えなければ国力が衰える、
と何かに取り憑かれたように言う人がいるが、
それは人がたやすく死んだ、昔の話ではないか?
今時は、一旦生まれた人間の多くは、そのまま老齢になるまで生き残る。
つまり現在の高齢者を支えるに足るほどに、子供が次々と生まれたならば、
その大勢の子供たちは、いずれは確実に、
今いる老人よりもっと大人数の老人になるということなのだ。
将来の納税者を増やすということは、将来の高齢者を増やすことでもあり、
その人々を支えるためにまたぞろ大勢の子供らが必要だと言い出せば、
・・・・もう、話はエンドレスでは?

つまるところ、若者に比して高齢者の割合が高すぎる期間を、
今後しばらく、どうやり過ごすか、
という社会制度上の問題だけが深刻なのであって、
この時期を乗り切ることさえ可能なら、日本の少子化・人口減少傾向は、
むしろ良いことなのでは、という気がするのだけど、違いますか(爆)。

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