転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



きょうも私は、ひとつ、繁体中国語のポゴレリチ関連記事を見つけた。
2月に行われた、ポゴレリチ×チェンのジョイント・リサイタルの案内だった。

で、例によって例の如く自動翻訳で、
そこに書かれていた演奏者の紹介文を読んでみたのだが、
ポゴレリチは、台湾でも既に、大変異色なピアニストとして、
その名をとどろかせている様子が、充分に伝わってきた。

2007年2月11日夜、すべての歌は波哥雷リッチーの手の中に着いて、
作曲家はすべて波哥雷リッチーになって


確かに、ポゴレリチの手にかかると、どんな曲もどんな作曲家も、
今まで誰も聞いたことのないようなものに変化してしまう。
良くも悪くも、すべてがポゴレリチになってしまい、
聴衆は、ただ、ポゴレリチを聴いている、という状態になるのだ。

これらの、いわゆるショパン、拉赫曼尼諾夫、
布ラム斯、葛拉納多斯は、すべて変化して


そう、どの作曲家も──四番目の、夜露死苦ばりの名前はグラナドスか──
ポゴレリチの手によって隅々まで解体される。
そこには、我々の耳に馴染んだ「いわゆる」作曲家の姿は、もうない。
楽曲はどれもポゴレリチによって、彼にしか描けない、
独特の姿に変えられるのだ。

そして、



『波哥雷リッチージャンプする舞台になります』


うそ・・・・・(T.T)。

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祈る  


「天の神様
きょう、天候に恵まれ、皆揃って遠足に行けたことを感謝します。
連休明けも、欠席がないようお導き下さい。
主イエス・キリストの御名においてお祈りします アーメン」

という、娘のメモが机の上に残されていた。
内容からして、27日の遠足の後、クラスで祈ったものだろうか。
願いは聞き届けられた。少なくとも娘は今朝、学校に行った。

だが、ふと見ると、お祈りのアンチョコと一緒に、
娘が学校で使うはずのメモ帳が、机の上に残っていた。
その隣には、娘が教室で必ずつけるはずの名札も。
さらに、それらと少し離れたところに、
ハンカチとティッシュが投げ出されていた。
「美術部」と書いた入部届け出用紙もあった。

忘れ物のないよう、お導き下さいと
祈っておかなかったのは失敗だった。

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