転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



先日、この記事を読んでワロてしもたのですが、
決着がついていたとは、さっきまで知りませんでした。
世の中、捨てたもんではないと再確認できました。

それにしても空拳法道ってなんだろう。
元斗皇拳みたいなもんを想像した不謹慎なワタクシでした。

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昨日まじめに語ったことを蹴飛ばすような話だが、
私が、この舞台を見ていて、どうにも笑ってしまうのが、
ジョルジュが怪我人の手当てをする場面だ。

市街戦で負傷した市民を近くのレストランに運び、
弾丸を体から取り出す処置を行うという場面があって、
設定では、ジョルジュはポーランドにいた頃に、
ヤミ医者だった父親の助手をしていたために、
医学の心得があり人命救助ができた、ということになっている。

だが、この場面で和央ようかが縫合に使っている針が、
キョーガクするほどふといのだ。布団針もビックリの太さ。
あんなゴツい針で、ああザクザク縫われたのでは、
患者さんは将来、傷自慢で商売できるくらいでは、と心配だ。

しかも、その場面での会話が、
「大丈夫だ、急所は外れてる」
「ありがとうございます!」(←こっちはスペイン語だったかも?)
という定番中の定番、
「おとっつぁん、おかゆができたわよ」
「いつもすまないねえ」
に匹敵するかというくらい、あっぱれな典型台詞なのだ。
私は、この場面にさしかかると、どうしても、
内心の微苦笑をおさえることができない。

なお余談だが私は子供の頃、プロレスの急所蹴りというものが
まず、頭に刷り込まれていたせいで、
漫画やテレビで「急所は外れている」というのが
しょっちゅう出てくることに気づいてからは、

テッポーのタマってそーゆーところ(の近く)に当たるもんなんか~

と、しばらくの間、完全に誤解していたものだった。
(「宝塚」のカテゴリで書く話題じゃございませんわね)

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和央ようか演じるジョルジュ・マルローは、
パリで成功したカメラマンで、フランス語の名前を持っているが、
実はポーランドのワルシャワ生まれであると、台詞で語っている。
物語の舞台そのものは、アメリカからスペインへと移るので、
ポーランドの話はただジョルジュの背景を語るためのものであり、
本編では具体的な設定として関わって来る部分はないのだが、
しかし、観る人によっては、このポーランドというのが、
かなり、意味のある隠し味になっているのではないかと私は思う。

ポーランド、ワルシャワと聞いて、普通、何を連想するだろうか。
この設定を重視しなくても、物語を理解するために支障は無いし、
もともと興味がなければ、単にヨーロッパの国のひとつ、
という以上のものではないかもしれない。

だが、もし、歴史や伝記になんらかの興味を持っている人ならば、
ポーランドと言えば、キュリー夫人の生まれ故郷だと考えるかもしれない。
また日本の新聞でも話題になった、80年代の戒厳令時代のことや、
ワレサ議長の名前などから、東欧の政情不安な国?という印象を
持っている人もいるかもしれない。

音楽好きなら、ポーランドは一も二もなく、ショパン生誕の地だ。
ワルシャワは、一流ピアニストへの登竜門である、
ショパン・コンクールの開かれる場所であり、
世界的な注目を集めるこのコンクールの人気は非常に高いもので、
実際にここを訪れる日本人の数も、毎回、相当に多い。

ポーランドは地理的に、ドイツと旧ソ連に国境を接していて、
常に、侵略の的となり、民族の独立を手にするための闘争を
長い間繰り返してきた土地だった。
東欧という場所柄、共産主義と資本主義が入り乱れ、
共和制を敷いて国家体制を整えるまでには、
実に様々な激動の歴史があった。

ジョルジュ・マルローはそのような場所で生まれた。
しかも、民族的には更に少数派であるユダヤ系だった、
ということも脚本的な設定には入っているようだ
(この点は台詞では明確に語られていないが)。
彼はワルシャワで育ち、のち定住することなく諸国を渡り歩き、
写真家としての名声を得てからも、自らを
『デラシネ(仏語で「根無し草」の意)』と表現していた。

私の愛するピアニストのフー・ツォンは、
青年の頃から長くポーランドに学んだのだが、
彼は、文革で祖国中国に戻れなかった複雑な自分の立場について、
「ポーランド語にザル(zal)という言葉があって、これは
『ノスタルジア、悔恨、傷心、耐え難い憧れ』を総合した単語なのです。
私が長い間の亡命生活で体験したことは、この一語に尽きるのです」
と語っていたことがあった。

ジョルジュ・マルローは決して政治的な亡命をしたわけではないが、
祖国を持たないデラシネとしての生き方の中で、
やはり、このzalというものに常に駆り立てられ、
ときに耐え難い思いに、苦しめられたのではなかっただろうか。
和央ようかの芸風には、その華やかな立場とは相容れない、
寂しさや心許なさが見え隠れしていると私はいつも思うのだが、
今回のジョルジュに関しては、彼女のそうした面が、
大変よく活かされていたと感じた。

カメラマンとしてスペイン内戦を撮影しながら、
ジョルジュはいつしか、現地で闘う青年たちに自分を投影し、
『俺たちは カマラーダ(同志)』と歌い、
最後には、生きて帰れる望みのほとんどない戦闘に、
それを承知で身を投じることになる。

そのときに、ジョルジュは言うのだ、
「もうデラシネじゃない!」。

あの台詞は本当に感動的だったと思うし、
彼が、長い放浪の果てにとうとう見つけたもの、
最後に行き着いたところが、彼にとってどれほど輝かしく、
かえがえのないものであったかが感じられ、
あまりにも切なく、胸が痛かった。

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大雨洪水警報が出て、小学校は休校になってしまった。
新学期早々、しかも給食開始日に、とほほな事態だ(^_^;。
娘は勿論、大喜びで二度寝に突入した。


 転娘みーちゃん、詠(よ)める――

 朝起きて テレビをつけたら 大雨警報
 連絡網で 嬉しい知らせ
  (殴蹴絞)


さて、入居してやっと一週間経ったわけだが、
リビングのフローリングの板が一枚、微妙に浮いているのを見つけ、
今朝は早速、建築会社の人に来て貰った。
簡単に固定して接着剤でつけるだけで、床はすぐ修理できた。
作業について来た責任者の男性が、部屋の中を見回して、

男「まだ入居してないんですか?」
私「は(^_^;?」
男「ここに、住んどってんないん?」
私「いえ、もう、住んでますけど(^_^;?」
男「や、どうも、あまりにも、なんにもないから

今の時期、ほかのお宅はどこもかしこもダンボールがいっぱいで、
部屋じゅうに積み重ねられている状況だとその男性は言った。
うちだって今、当家比では、荷物の箱がまだまだたくさんあるのだが、
何しろ官舎が狭すぎたうえに、家具らしい家具もなかったので、
前より住居面積が広いこのマンションに、所持品を運び込んでみたら、
各部屋の壁際にダンボールがちょっとずつある、
という程度の分量にしかならなかったのだ。

どうやらこれは「まだ引越が完了していない」と見なされるほど、
よそのお宅に較べたら貧相な有様であるらしい(^_^;。
しかも、そのしみったれたダンボールの中身がまた、
どれもこれも真っ当な生活用品でなく、
ほぼ全部、家族三人三様の道楽関連書籍である、
ということがわかったら、この男性はもっと呆れたに違いない。

だが、それにしても、確かに、
ここに来てから私が少し困惑しているのは本当なのだ。
官舎で使っていた小さいキャビネットとか電話台とかが、
とりあえず、ぽつんとリビングに置いてあるのだけれども、
スペースが無駄に余っていて、貧弱なこと、このうえない。
よくインテリア雑誌に、「生活感を出さない工夫」、
などという記事が出ているものだが、我が家の場合、
生活感以前に、まともに人が住んでいる気配がない、
という次元に堕ちてしまっているのだ(--#)。

このままでは、川原泉の漫画に出てきた「柚子さん」じゃないが、
何も置くものがないリビングの真ん中にコタツをして、
家族三人で食卓を囲んで暮らすのではないか、
……という、あまり芳しくないイメージが、
どうしても浮かんで来て、困っている。

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8日の夜に「のちほど」と書いたことだし、
お茶会について、何か記録しておきたいと思うが、
今回のお茶会は最後ということもあり、
『和央の会・会員限定』という少し特別なものだったので、
一問一答のような詳細な書き方を、ここでするのは、
差し控えたいと思う。

内容的には、決して秘密にせねばならないようなものではなく、
驚くべき新事実が語られたなどということは一切なかったので、
お茶会参加経験がおありの方には、つまりいつものような内容の、
普通のお茶会だった、と思って頂いていい。
たかこ(和央ようか)さんの挨拶、公演の話題、質問と答え、
握手会、抽選会、今後のスケジュールと終わりの言葉、
・・・という段取り通りの中身だった。

最後だからと涙ながらの何かがあったわけでもないし、
たかこさんの様子を見る限り、体調不安も感じられなかった。
豪華版のごちそうが出た、ということも勿論なく(爆)、
いつも通り、飲み物のパックと焼き菓子と記念品等が、
最初から席に配られているという「引き出物」スタイルだった。

どんなに参加者が多くても、ひとりひとり、全員と握手をする、
というのは、たかこさんがずっと貫いてきた方針で、
これまで、会員限定でなく二千人超の規模だったときも、
握手会は必ず敢行されて来た。
同時に、この何年かの間には、幾度も会のアンケートで、
『握手会をしたいか、ほかのことで時間を使うのが良いか』
とお茶会出席者に対しての確認もあったのだが、
結局、こうして続いてきたところを見ると、
ファンが握手会を喜び、支持し続けてきた、ということなのだろう。
今回もやはり、宝寿の間に一杯の参加者全員との握手があった。

私は、握手のとき、たかこさんに、
『ありがとうございました』
と言った。
あの大人数だからひとりひとりが何を言ったかなど、
ご本人には全く記憶に残らないことだろうし、それでいいのだが、
ただ私は、彼女にこれまでのお礼を、
一方的にではあるが、一度は、直接に言いたかったのだ。

本当に、彼女のお陰で、ずっと、どれほど楽しかったことだろうか。
友人どころか知人でもない、個人的には全然接点もない人から、
こんなに幸せにして貰えたなんて、考えてみたら凄いことだった。
世の中にありとあらゆる舞台があり、大勢の女優(!)さんがいて、
宝塚歌劇団だけを見てもあんなにたくさんの生徒さんがいて、
・・・でも、私にとっては、その中で、たかこさんが良かった。
私には、彼女だけが見せてくれる、特別なものが、あった。
そういう人に巡り会えて、その舞台を見ることができて、
私は実に幸福な観客だったのだと思った。

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一昨日、新聞屋さんの約束が違う、という話を
ここに書いたところだが、なんと今朝、その新聞屋さんが来た。
そして、きょうから一週間、約束通り、
無料で、新聞を入れてくれることになった。
我々の入居日を失念していたので、
いつから配りに来たら良いか、判断に迷った、
という事情だったそうだ。

んなことより、
この日記、読んだのか!?
と、私は、そのほうが気になった(爆)。

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宝塚ホテルにて、和央ようか大劇場最後のお茶会。

広島まで帰るための新幹線の時間が迫り、
今回は最後まで居られず。残念!

年末の怪我の件で大変心配された今回の公演だけれど、
お茶会でのご本人はとても良い笑顔でお元気そう。
《最後の》という切迫した雰囲気などなく、
とても和やかな会だった
(会場ではこの時間、まだ終わっていないので、
今ごろは、ご本人による最後の挨拶あたりだろうか?)。

またのちほど。

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官舎にいた頃から、我が家では新聞を取っていないのだが、
マンションに入っても、やはり、その習慣は続いている。
特に、昨日までの三日は、ネットに接続していなかったし、
家族がいなかったらテレビをつける人だっていないから、
私は危うく、世の中から完全において行かれるところだった。

実は、入居前の、鍵渡しの日に、某新聞屋が来て、
「要らない」という私にむかって、取ってくれと執拗に頼んだ。
私は再度、断ったのだが、その人は、
「これは、ご入居の皆様全員にお配りしていますので」
と平身低頭して、私に「もみじ饅頭」一箱を無理にくれ、
うちでは主人が、ことのほか、こういう菓子が嫌いで、
これだけでもかなり迷惑だったのだが、さらに、
「ご購読のご意志には関係なく、当社では、
ご入居から一週間、無料で、新聞を入れさせて頂きます」
と、その新聞屋は頼みもしないことを勝手に申し出た。

私「いや、それは申し訳ないですよ。うち、新聞、取らないし」
係「いえいえ、ご入居お祝いということで。チラシなどもありますし、
 この近辺のことも、いろいろ覚えて頂けるよう、ご覧頂けましたら」
私「(^_^;(もともとこのへんの住人だし別に覚えることもないが)」
係「では、どうぞよろしくお願い致します!」

という、ほとんど押し問答のような一件があって、
新聞屋さんは帰っていったのだったが、
この新聞、入居の前日にたった一度、入っていただけで、
それから二度と、配られて来ていないのだった。
一週間、無料で入れてくれる、って言ってたのに。

タダのものが入ってないからと言って
エラソーに文句を言える筋合いではないのだが、
それにしても、新聞屋さんが自分から言い出したことなのに、
全然話が違うので、呆れてしまう。

「そういう、信用できない人物との付き合いは、
やはり、しては、ならない」
と主人が言って、我が家では金輪際、新聞は取らないと、
改めて確認されてしまった。

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やっとネット環境を取り戻した(嘆息)。

マンション入居を機会に、新しくUSENと契約する、
と決めたのは主人だが、設定するのは例によって私で、
昨日、スターターキットが到着したので、
モデムを開封し繋いでみたのだが、アクセス拒否され、
どうしたんだとあっちこっち数時間いじりまわして、
結局、USENのテクニカルサポートに電話。

が、これがまた、私のように「できない」人が多いのか、
延々と繋がらず、お待ち下さいませのアナウンスが繰り返され、
そのうちに、自動音声が突然、
『お待ちのお時間を利用して、さくらのうたをおきき頂きます
などと言い出し、
なんだと、さくらぁ?脳天気な!森山か、コブクロか?
と目をつり上げた私に対して、自動音声は芭蕉を一句。

・・・なんたら かんたら さくらかな

だ~っ!!イライラする~!!

待って待って待って、ついに出てきたお兄さんは、
私の怒りを冷ますように、
「大変お待たせ致しまして、申し訳ございませんでした」
「なるほど、さようでございますね」「かしこまりました」
等々と、素晴らしく礼儀正しく親切な人で、
「つなぎ方は間違っていない!私は悪くない!」
と強固に主張する私につきあって、原因究明に協力してくれ、
挙げ句の果てに判明した事実は、

『まだ工事が完了していなかった』(爆)。

お兄さんが調べてくれたUSEN接続工事日程表によって、
我が家の工事完了は4月6日であるということがわかり、
かくて私は本日夕刻、改めてネット接続を試み、
こうして無事に、自分のサイトにアクセスすることが叶った。

ながかった・・・(T.T)!

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(昨日のことだが)なんとか退去点検が終わり、
補修費用も割と安かったので本当に助かった。

ものがなくなったら、団地サイズの6畳間が
案外広くて感心した。
ここに勉強机とピアノとコタツが同居してたから
狭かっただけだった(爆)。

それにしても、妖怪極太やゴキ男やネズ子は、
昨日一日、気配もなかったが、一体どこに隠れて
この騒動を見守っていたのだろう。
実は布団袋に潜り込んでいて、一緒に新居に入居した、
とかはナシよ(^_^;?

さて新居は、今までの官舎に比べたら
それはもう、広々として素晴らしいのだが、
いかんせん、今度は段ボールの山だ。
昨日詰めたものをきょう開封するなんて、
なんだかな~と思う。

新居最初の来客は○○新聞勧誘員で、
新居一発目の電話は間違い電話だった(--#)。

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