転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今夜、久々にネットサーフィンをしていて、
ポゴレリチ関連の記事が何かないかと探していたら、
昨年10月の台湾公演の際に、ポゴレリチが現地で
マスタークラスを開いた、ということが読み取れる、
中国語(出た(^_^;)のblogに行き当たった。

北京公演の合間にマスタークラスを行う予定は、当時、
早くから私にも把握できていたのだが、
それが実際にはどのようなものだったかは知るすべがなかったし、
更に、それに先だって、台湾公演の時点でもしていたとは、
きょうまで、全然、考えてもみなかったことだった。
こうなると、東京でもやって欲しかったな、と思ったりして。

ともあれ、この話は、現地の学生さんのものとおぼしき、
個人のblogに、中国語で書かれていたので、
当然のことながら私には、詳細はほとんど理解できず、
ただ、僅かに、固有名詞と日付などが読み取れただけだった。
だがポゴレリチが一体、どんなマスタークラスを行ったのか、
彼の指導とはどのようなものだったのか、
ファンとしては、いたく興味があるのが、当然ではないだろうか。
これは、なんとしても解読せねば。

なので。
とにもかくにも自動翻訳サイトに、読んで貰いました

マスタークラス受講生となった学生さんは、書いている。
『夜6時の初めを予想して、
私はわざと先輩を落ち着けてと世間話をして、
自分の顔色の白くなる6時15分かどうかを心配して、
波の大家はのんびり遅れてやってくる』

「波の大家」とは、ポゴレリチのことだ。
彼の名前は中国語だと「波哥雷里奇」と表記される、
ということを、私は既に知っている。
そして、これを自動翻訳で日本語にすると
「波の兄のローリー奇」というものになり果てる、ということも。

さて、この、死ぬほど緊張して待っていた学生さんらを尻目に、
ポゴレリチは、いい加減遅刻して、のんびりと会場にやって来た。
だが、学生さんのショーゲキは、勿論、演奏以前のもので、

『私を身につけていてこの一生最も怪しい服装に会ったことがある。
金色の中国服のオーバー、中の鎧甲を身につける暗いスカーフ、
胸先は常に玉の装身具の2連に掛かる。
糸の質の田舎くさい黄色の百慕達のズボンのデザイン(??)、
黒色のストッキングに行く資格があって、黒色の何皮の革靴
』。

私は、ポゴレリチを描写するのに、これまで、私なりに工夫を凝らし、
様々な表現の仕方を試みてきたけれども、
自動翻訳の自由闊達さには、到底勝てない、と思うことが多い。
よくもここまで、言いにくいことをハッキリと(T.T)。

それはともかく。んなことより、気になるレッスン内容なのだが。
『手は鍵盤を離れて力を入れて和弦をたたいてきたて、
この動作は彼に私が毎回列車に乗る時"を言われて、
私がよく人々を観察することができるのが
どのように鼻孔を掘ったので、
通常すべてやさしいのが回転するのあなたの指で、
突然突然自分の鼻孔を突くことはありえない
だからあなた達も鍵盤"をこのようにたたかないでくたさい』

ほほ~~~!!目からウロコ!!!
イーヴォ・ポゴレリチによる指導とは、
鼻の穴の突き方をよく考えて、ピアノの鍵盤に触れなさい、
というものであったらしい。
そーゆーことをイメージして、あのような面白い手つきで、
彼はピアノを弾いていたのか・・・。
「やさしいのが回転するのあなたの指で」、か・・・・。


(追記:もうちょっとマトモな内容が把握できましたら、
この件は別途、ポゴレリチblogのほうにUPしたいと思っています。
ファンの方(って私もファンだが)怒らないで下さいませ<m(__)m>。)

Trackback ( 0 )




この物語の、ほとんど冒頭の部分で、
小説家のキャサリンは、自分の小説が映画化される企画について、
演出の方向性が気に入らず、制作披露パーティに乗り込み、
こんなものは許可できない・弁護士を呼ぶと言って監督に抗議する。

そこに、偶然居合わせた写真家のジョルジュが、
その彼女の必死の形相を面白がってカメラで撮影し、
「きみ(女優で愛人のエレン)の映画より面白いスチールが撮れた」
と笑う。

興奮しているキャサリンはもっと怒って、ジョルジュに、
フィルムを返せと迫るが、ジョルジュは、
「無理だね。弁護士を呼びたまえ」
とキャサリンをからかい、とりあわない。

「わかったわ!」
と踵を返した彼女に、ジョルジュは追い打ちをかけるように言う。
「さようなら」。
すると、キャサリンは、キっとジョルジュを見て、
「フィルムを貰うまで、さよならは言わないわ!」

これが、ふたりの、初めての出会いだった。

・・・のだが。
私はここを聞いて、『まるで翻訳モノみたい・・・』と思った。
この舞台は小池修一郎のオリジナルであって、
決して、英文による原作小説などは存在しない。
しかしこの部分は、もし英語で脚本を書いたなら、
完全に、タイトルそのままになる箇所ではないだろうか。

  George: Goodbye...
Catherine: Till I get the film back from you, I will never say goodbye!

出会いの場面で、結末を暗示する、タイトル通りの台詞が出る、
というのは、ありがちではあるが、なかなかキマっていて、
よろしいのではなかろうか、と私は思った(^_^;。

Trackback ( 0 )