転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今年は娘が受験生なので、旅行などの家族イベントは一切なく、
昔から主人がお節料理を拒否しているため、食事も普段通りで、
私が自分の趣味で掃除を念入りにしたほかは、
特に変わったことのない、淡々と過ぎた年末だった。

大晦日は、娘は夕食後に全部の大学の願書を完成させ、
そのあとは居間でテレビを観ていた。
主人と娘の選択は、基本的に『ガキ使 笑ってはいけない』を観つつ、
合間合間に『紅白歌合戦』を覗く、というものだった。
会見での下ネタ発言で取り沙汰されたゴールデン・ボンバーは、
本番で清志郎みたいな事件を起こすことなく、
樽美酒のメークの白いお面を、審査員や観客も皆がつけて、
普通に楽しく(笑)披露された『女々しくて』だった。
急性声帯炎で体調が心配されていた、きゃりーぱみゅぱみゅも、
早替わりを含む極彩色のお衣装で登場、無事に可愛く歌っていた。
曲紹介で稲垣吾郎がカミまくった一件は言うに及ばず、
有働由美子アナでさえ、「ぱみゅぱみゅ」の発音はキツいものがあった。

福山雅治は、パシフィコ横浜でのカウントダウンライブ中で、
紅白の出番のときは中継だったのだが、
今回の企画として、日頃から仲の良い市川猿之助・中車とのコラボで、
歌の前に両名による口上が行われることになっていた。
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』での共演が縁だったそうだ。
その、猿之助と中車が、交互に画面に出るのを観ていた娘は、
「え~?区別がつかん。二人おるよね?同じ人?」
と言った(^_^;。
いやまあ、ふたりは従兄弟同士だし、現に良く似ているので、
それは素朴な感想としてわからないことはなかったのだが、
猿之助と中車は勿論、別の役者で、年齢も結構違うからね?
ちなみに中車は香川照之だからね?……と言ったら、娘は
「えー!!香川照之は知っとるけど、歌舞伎やる人だったん!?」
と驚いていた。どこまで今更なヤツなんだ。

更に、その口上が終わって歌になり、ギターを弾く福山雅治が
テレビ画面に大写しになると、娘はしばらく観てから、
「ああ!そうかこれが福山雅治かっ!」
と、これまた相変わらずなことを言った。
「ただのギターの人かと思うとった!
いつまで経ったら、福山雅治が出てくるのか、
サポートメンバーばっかり真ん中に映って、
……って、ずっと勘違いしとった!!」
娘はついに、2012年最後の日になっても、福山雅治が覚えられなかった。
2013年にはわかるようになるだろうか。

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しかし、なんと言っても、この晩の白眉は、美輪明宏だった。
私は最初から、「美輪様」の出番だけは観る、と決めていたのだが、
Twitterでの反響を見ても、多くの方々が美輪様のヨイトマケを
ほぼ初めてじっくりと聴い下さり、それを深く受け止めて下ったことが
よくわかった。
圧巻の美輪明宏 静まり返った「ヨイトマケの唄」(サンスポ)

私は90年代初めから美輪明宏を生で聴いてきたが、一貫して思っているのは、
美輪様の歌は、一曲一曲すべてが一編のお芝居だ、ということだ。
どんな小さなフレーズでも、音符ひとつにでも、
美輪様の歌には完成された演技があって、
聴き手に対して、その背景にあるものを濃厚に伝えて来る。
今回の『ヨイトマケ』にしても、最初の、暗転のあと
♪父ちゃんのためなら エーンヤコーラ
♪母ちゃんのためなら エーンヤコーラ
のところから既に、歌詞とその背後に、何人の登場人物が居たことだろうか。
あの場面が暗闇で、画面に誰も映っていなかったのは演出として必然だった。

世の中の多くの人は、美輪明宏というと、黄色いロングヘアで、
ゴージャスなドレス姿で、艶然と微笑みつつスピリチュアルな話をしている、
という印象を持っていたのではないかと思うが、
それはアーティストとしての美輪様の表現の、ほんの一部でしかない。
美輪明宏とは、性別も年齢も超越した、変幻自在の芸術家なのだ。
たった(敢えて言う)6分だったが、紅白の『ヨイトマケ』では
素晴らしく見応えのある一本のモノオペラが上演されたのだということを、
きっと、たくさんの方々が感じて下さったことと思う。
久々に、「テレビというものがあって良かった」と私もしみじみ思った、
今回の紅白歌合戦だった。

美輪明宏 ヨイトマケの唄 「第63回NHK紅白歌合戦 2012.12.31」(YouTube)

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