転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 

幻の  


2009年1月19日(月)19時サントリーホール
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル
・・・の幻のS席チケット。
もう現物は返送してしまったので、写真のみ。

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きょうは本当なら、ポゴレリチが東京で公演する予定だった。
それが中止になってしまったのだから、私はきっと、
何かの命日みたいな気分で今日一日を過ごすことになるだろう、
と思っていた。
が、何が起こるか、本当にわからないものだ。
昨日、とても楽しいラン・ランの演奏会を聴けた御陰で、
案に相違して、今日は、未だに実に愉快な余韻に浸っている。
こういう予想外の出来事は、大歓迎だ。

私がラン・ランの名を知ったのはいつだったか、
正確なことは思い出せないのだが、雑誌記事か何かで、
とてもユニークなピアニストだというのを読んで
興味を持ったのだったと思う。
この日記を辿ってみると、2004年には、もう、
ラン・ランに対してなんらかの前提を持っていたのは確かなので、
およそ4年前頃から「そのうち聴きたい」と意識していたようだ。
それが、やっと実現したのが、昨日の大阪公演だった。

************

ステージに登場したラン・ランは、さすがに総スパンではなかったが、
普通の燕尾服などとは違い、襟やズボンにキラキラ光る飾りのついた、
歌手の着るタキシードみたいなものを身にまとっていた。
昼の演奏会だし、なんでもいいとは思うのだが、最初から面白かった。
彼の顔を見ていると、私はどうも藤子・F・不二雄調のキャラを連想して
とても微笑ましい気分になるのだが、昨日も彼は、
出てきたときから、自分でも雰囲気を面白がっているような表情をしていた。

一曲目がモーツァルト「ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調」
ラン・ランは、動作も演奏も、何もかもがリズミカルだった。
さっと着席して、せーので弾き始めるような抵抗の無さで、
出てきた音楽は、第一音から転がり出すように躍動的なものだった。
それも道理で、この曲自体が、いきなり歌い始める始まり方なのだから、
ラン・ランは着席するときから、もう演奏の中にいたのだった。
三楽章など、ペダルを踏まないときの右足は足拍子状態で、
私の席からは彼の足がよく見えたせいもあり、
その足の動きが、もうひとつの伴奏のように溌剌としていて面白かった。

次がシューマン「幻想曲ハ長調作品17」
いきなり和音が雪崩れ込んで来るような響きで、
私はこういうふうに、作曲年代の異なる作品に移るときに、
同じピアノが別の楽器のように鳴り始める瞬間がかなり好きなのだが、
ラン・ランもまたそれを逃さないでくれたのが嬉しかった。

ここまでが前半で、20分の休憩を挟んで後半は中国の作曲家の作品から。
最初が呂文成「平湖秋月」
この曲だけは、ラン・ランは着席したあと、すぐには弾かなかった。
月が昇り、静かに湖にその姿を映すまで待っていたかのようだった。
この『平湖秋月』を弾き終えて、拍手の中、
ラン・ランは立ち上がって、客席に頭を下げた。
それから、聴衆に向かい、
「中国でお馴染みの曲目をご紹介する機会が得られ嬉しく思います」
と、英語で話し始めた。
これがまた驚くほど良く通る声で、大変明晰なアメリカ英語だった。

ご本人の紹介によると、
さきほどの『平湖秋月』は、湖に照り返る月を描いたもの、
次に弾くのは、笛を持った少年の曲で、
響きがバロックみたいなので自分は「中国バロック」と呼んでいる、
三曲目は春の舞曲で、リズムがタンゴによく似ており、
こっちのほうは自分で「中国タンゴ」と呼んでいる、
四曲目は、やはり月のことを描いたとても古い曲、
最後は賑やかな祝日の歌、『あけましておめでとう』ということで、
・・・等々と、表情たっぷりに曲紹介をした。

なるほど、二曲目の賀緑汀「牧童短笛」はバッハみたいなポリフォニーで、
右手の旋律を左手がおいかけるフーガのような構造もあり、
それを構成しているのが最初から最後まで五音音階なので、
確かに「中国バロック」そのものだった。
「中国タンゴ」こと孫以強「春舞」は最初からタンゴではなく、
素朴な序奏からタンゴへと順に曲調が展開して行く、面白い曲だった。
四曲目の任光「彩云追月」だけが、残念ながら私には唯一、
印象に残らなかった曲なのだが、英文タイトルを見ると、
雲が様々に色合いを変えながら、月を追うように動く様を
描いたもののようだった。
最後の朱践耳「翻身的日子」は一転して楽しかった。
中華街の旧正月の賑わいや、龍舞や獅子舞の華やかさが
ごく自然に脳裏に浮かんできた。
ピアノは一台でオーケストラを展開できる楽器だが、
二胡にも打楽器にもなり得るのだということがよくわかった。

終盤は、グラナドス『ゴイェスカス』より「愛のことば」
リスト=ワーグナー「イゾルデの愛の死」
そしてリスト「ハンガリー狂詩曲」第6番
愛を告白して、愛の中に息絶え、最後は華やかに散る、という(爆)。
このあたりは、音楽の色合いも、ラン・ランの顔つきも、
文字通り百面相だった。

ゴイェスカスで青年らしい熱い告白をしたと思ったら、
最初からオバケの出そうなイゾルデ、
どんどん、どんどん恍惚が深まり、戻ってこられないところまで行き、
♪あとはおぼろ~、あとはおぼろ~、
とどっかから青江三奈が聞こえてきそう(殴)になったあと、
突然、ラン・ランは覚醒し、決然と行進曲を始めたのだ。
そして、ハンガリー狂詩曲の最後、主旋律がバスに移ったとき、
もうもう、ラン・ランは人間ワザとは思えないオクターブを繰り出し、
その様は、超高速でシンバルを叩きまくるオサルさん状態!!!

大感動と大興奮の「どつぼ」、私は笑い死にしそうだった!!!
凄すぎる、面白過ぎる、ラン・ラン、あなたは天才!!!

終わったとたん、バボーーー!!!
と会場も万雷の拍手、あちこちでスタンディング!!


拍手で幾度も呼び出され、弾いたアンコールが、
ショパン チュード作品10-3「別れの曲」
なんと綺麗な。こんな可憐な音が、まだ隠してあったとは。
中間部は足によるパーカッションと鼻歌によるオブリガードつき(爆)。

どうもこうも、実に心憎いばかりに構成のよく出来たリサイタルだった。
私はシッカリつかまってしまい、
ラン・ランが弾くなら、是非また聴きたいと思った。
きょうの、ポゴレリチ東京公演が実現していたら、
昨日のラン・ランは時間的に諦めざるを得なかったのだから、
まるでポゴレリチが、私にラン・ランを聞かせてくれたようなものだった。
06年夏のインタビュー時、ポゴレリチはラン・ランが誰なのか知らない
と返答していたことが、私は、どうもあれ以来忘れられないのだが、
今は、もう彼の名を知っているだろうか(苦笑)?

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