「こりゃ、なんじゃ?」
と主人が言うので、見たら、
娘が小学校のとき図工の時間につくった「まが玉」を
主人が袋から出して眺めていた。
私「そりゃ、みーちゃんのこしらえた工作だよ」
夫「妙に、ええ袋に入っとるじゃん」
私「学校で最初から入れて貰ってたよ。壊れやすいからかな」
夫「ふーん。ま、確かに出してみりゃ、みーの作品だとわかるが」
主人の言う通り「まが玉」は、赤いフェルトみたいな、
ちょっと上等そうな袋に入っていた。
だが、作品そのものは、不器用な娘が彫刻刀で削った、
ということがアリアリとわかる、
おおざっぱで稚拙な出来映えだった。
それを見ながら私は考えた。
もし、今から数千年後に、コレと、八尺瓊勾玉とが
相次いで発掘されるようなことがあったら。
「人類は、2000年かけて、退化した」
という結論にならざるを得ないのだろうなと(逃)。
紀元前130年頃、既にミロのヴィーナスをつくっていた人類が、
中世になると逆に遠近法もオカシくなってしまうのだから、
古墳副葬品より遙かに劣る21世紀の「まが玉」があっても
まあ、仕方がないだろう、ということで。
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