転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「こりゃ、なんじゃ?」
と主人が言うので、見たら、
娘が小学校のとき図工の時間につくった「まが玉」を
主人が袋から出して眺めていた。

私「そりゃ、みーちゃんのこしらえた工作だよ」
夫「妙に、ええ袋に入っとるじゃん」
私「学校で最初から入れて貰ってたよ。壊れやすいからかな」
夫「ふーん。ま、確かに出してみりゃ、みーの作品だとわかるが」

主人の言う通り「まが玉」は、赤いフェルトみたいな、
ちょっと上等そうな袋に入っていた。
だが、作品そのものは、不器用な娘が彫刻刀で削った、
ということがアリアリとわかる、
おおざっぱで稚拙な出来映えだった。

それを見ながら私は考えた。
もし、今から数千年後に、コレと、八尺瓊勾玉とが
相次いで発掘されるようなことがあったら。
「人類は、2000年かけて、退化した」
という結論にならざるを得ないのだろうなと(逃)。

紀元前130年頃、既にミロのヴィーナスをつくっていた人類が、
中世になると逆に遠近法もオカシくなってしまうのだから、
古墳副葬品より遙かに劣る21世紀の「まが玉」があっても
まあ、仕方がないだろう、ということで。

Trackback ( 0 )




私は高校一年生のときに、現代国語の授業で、
清岡卓行氏の『失われた両腕』(「手の変幻」より)という、
ミロのヴィーナスの持つ特殊な美についての評論を読んで、
大変に感銘を受け、今でも、折に触れて、
あの文章で書かれていたことを思い出すのだが
きょうも、鈴木晶氏の『ニジンスキー 神の道化』を読んでいて、
またしても、『失われた両腕』の記述をいくつも連想した。

その詳細については、また、ニジンスキーを読み終えたら書きたい、
と思っているのだが、清岡卓行といい、先日の漢詩への興味といい、
私が学校の、特に国語の授業や勉強から得たものは非常に大きく、
中年になっていっそう、その有り難みを痛感することが多くなった。
学校は有り難いところだった、教科書は素晴らしかった、
ということを、私は、声を大にして言いたいと思う。

そしてきょうはもうひとつ、発見をした。
今年度のNHKラジオ『まいにちフランス語』で、
2008年4月から9月までの前期講座を担当していらした、
清岡智比古先生は、なんと、この清岡卓行氏のご子息だったのだ。
そのようなことは考えもしないで、私はラジオの清岡先生のお話を
毎回、とても面白いと思い、楽しみにしていたものだった。
16歳の私に、ひとつの革命的な視点をもたらして下さった
(と、シロートのオバちゃんが言うのは大袈裟なんですが)、
清岡卓行氏と、こんなところで、再び繋がることになろうとは、
44歳のきょうまで、全く、予想だにしなかったことだった。

清岡卓行・公式サイト
清岡智比古先生のブログLA CLAIRIERE
手の変幻(清岡卓行)


追記(1月19日):お友達のNobuo Kasai様が、
ご自身のブログSENZA FINEで、
清岡智比古先生がそうだったとは!」という記事を書かれています。
清岡卓行氏の仏文学翻訳に関しても触れて下さっています。
ご関心がおありの方は、是非、ご覧下さい。

Trackback ( 0 )