転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



お正月休みでいつもよりは時間があったので、
久々に機械翻訳でポゴレリチのクロアチア語記事を読んだ。

ポゴレリチの私邸に関する記事は、驚くような内容だった。
私がクロアチア版フライデーと呼んでいるGloriaという雑誌の、
2006年秋に掲載された記事によると、
ポゴレリチは、スイスのルガーノに私邸を持っているとのことで、
これがもう、呆れるほど豪勢なものなのだった。

100名以上の招待客に対応できる間取りの家で、
完全な防音室のピアノ部屋が複数あり、
120名収容の私有コンサート・ホールが併設されていて、
室内プールや、バーベキューのできる庭園もついており、
2006年の時点でエレベーターを建設中、
メルサド・ベルベルの絵画や、40名座れるテーブル
(なんとかいう名工の一点物だとか来歴が書いてあった)など、
価値あるインテリアや家具類が、このときはまだ、
梱包されたままガレージに収納されているとのことだった。

「広すぎると思われるかもしれないが、自分にとってはこれが標準。
英国のセント・ジョージ・ヒルの家は1200平米あったし、
ロンドン中心部のフラットだって700平米あった。
(96年に夫人の)アリスが亡くなったとき、
(義理の息子の)ゲオルギーと一緒に数えてみたら、
所有していた複数の家の合計で、部屋が48、バスルームが16あった。
家族ふたりにそれらは多すぎ、すべて売却することにした」
というポゴレリチの話も掲載されていた。

夫人の存命中、家族3人ならそれらは多すぎなかったのか、
という疑問はさておき、ポゴレリチはイギリス国内だけでなく、
アメリカにもマンションを持っていて、クロアチアにも別荘があり、
当時は、かなりあちこちに家を所有していたようだった。
それらはどれも、夫人の思い出に繋がるので耐えられず売り払い、
以後のポゴレリチはしばらくホテル暮らしを続けることになるのだが、
ただひとつ、81年に購入しヴィラ・アリスと名付けていた、
ドゥブロブニクの別邸だけは、
息子のゲオルギー・ポゴレリチ氏に譲られたということだった。

2008年暮れの情報では、ポゴレリチはこのルガーノの家に
録音活動のために自分専用のスタジオを建設中、
ということだったので、この記事の当時よりも今は更に、
彼の私邸は充実しているだろうと思われた。

記事は2006年の後半に掲載されたものなので、
そのあとの予定として、2007年初頭の来日公演のことも出ている。
ポゴレリチはこのとき、日本・台湾・オマーン・クエート・カタール、
という順序での一連の演奏旅行を計画していたとのことだ。
日本のファンとしては、ついつい「日本に来る、来ない」と
日本のことを中心にして彼の動向を見てしまうが、
2005年秋もアジア・ツアーの公演地のひとつとして東京に降りたように、
来日が計画されるときは、日本公演のためだけに出て来るわけではなく、
その他の国への演奏旅行の一環であることがほとんどだろう。
2009年1月に予定されていた来日公演の中止も、
ほかの、いろいろな事情との兼ね合いがあったのかもしれない、
と改めて思ったりした。

それにしても、サントリーホールでなく、できれば数百名程度の、
もっと閉鎖されたような空間で、ポゴレリチの音に浸りたい、
というのが、私のかねてからの夢なのだが、
彼の私邸にある120座席のコンサートホールでならば、
おそらくベストと言える、彼の本領を聴くことができるだろう。
本人がツアーや気候の変化などによる疲弊がない状態で、
精神的にも最も安心できる自宅のホールで、
弾きたいように弾いた演奏会を聴くことができたら
私はファンとしてはこれ以上ない幸福が得られるだろうと思った。

彼の私邸に招ばれることは、まあ、あり得ないわけだが(^_^;。

Trackback ( 0 )




例年、1月2日には年賀状の配達が無かったはずだが、
きょうは、昨日と同様に来ていた。
郵政民営化の成果を初めて見た思いがした。

雇用の自由化といい、後期高齢者医療の問題といい、
裁判員制度といい、今、我々が迷惑していることは全部、
皆があれほど支持した小泉内閣のときに決定されたことだ。
長期に渡り、国民からの高い支持率を誇った内閣は、
実は、こんなにロクでもない遺産しか残して行かなかった
(除:年賀状配送の一件のみ)。
国民に見る目が無かったことは明白だ。

とすると、今、支持率がとても低い麻生内閣は、
案外、安全なのと違うか?と思う私だった。

Trackback ( 0 )