転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



この10月から漢詩を習いに行っていることは以前書いた。
なんで唐突に漢詩を始めたんだと言われると、
一応、天中殺だから決めました、というのが直接の答えなのだが(汗)、
漢詩を読む、という勉強は、「いつか、やりたい」ものとして
私の中に長年あったのは本当だ。

漢詩との出会いは中学2年か3年のときだった。
国語の時間に、教科書の「古典」の単元で出てきた、
『黄鶴樓送孟浩然之廣陵』という李白の七言絶句に、
私は一目惚れしてしまったのだ。


黄鶴樓送孟浩然之廣陵
 故人西辭黄鶴樓
 煙花三月下揚州
 孤帆遠影碧空盡
 惟見長江天際流

黄鶴樓(こうかくろう)に
孟浩然(もうこうねん)の 廣陵(こうりょう)に之(ゆ)くを送る
 故人 西のかた 黄鶴樓を 辭(じ)し、
 煙花(えんか) 三月(さんがつ)揚州(ようしゅう)に 下る。
 孤帆(こはん)の 遠影 碧空(へきくう)に 盡(つ)き、
 惟(た)だ見る 長江の 天際(てんさい)に流るるを。


友人の孟浩然が広陵(揚州)に行くのを黄鶴楼で見送った、
という、唐の時代の李白の詩なのだが、
日本語で書かれた文学にはあり得ない言葉遣いや韻律に、
私はろくに意味もわからない段階から強烈に惹かれた。
今まで読んだこともなければ、勿論書いたこともない種類の言葉で、
文語調の日本語として知っていた響きとも違い、衝撃的だった。
けぶるように美しい春霞の光景を「煙花」、
ぽつんと遠くにひとつだけ見える帆掛け船の姿を「孤帆遠影」
と表現する漢字の威力にも感銘を受けた。

何より最後の「惟見長江天際流」、
「惟(た)だ見る」のは単に長江の流れる様を見るのではなく、
ましてや友人の乗った船の姿を見続けるのでもなく、
船の影が消えてしまった=友人が行ってしまったあとを
ただ、見ている、……という描写の余韻に私は畏れ入った。
姿が見えなくなっても、友人の行く先となったであろう方を
ずっといつまでも見つめ続ける李白の、断ち切れぬ思いが、
「天際流」という語に込められていると思った。


がつがつ勉強なんかして何になるのか、と問う若い人や、
学校の成績なんか意味がない、と仰る識者の方もいらっしゃるが、
私は少なくとも、公立の学校の、普通の授業で教えて貰ったことが、
四十歳を過ぎた今でも、こうして自分の中で大きな意味を持っている。
全く実用的でなくとも、社会に出て直接使えることでなくとも、
私を変えた出会いのいくつかは、教科書の勉強の中に、確かにあった。

国語の時間に習わなかったら、私は、
このような種類の文体の美しさや、中国文学の見事さを
知る機会が、もしかしたら無かったかもしれないのだ。
そうした教科書を使い授業で漢詩や漢文を勉強した御陰で、
私はこんなオバさんになっても、心震えるような瞬間を持つことができ、
それらを習った十代の日々のことをも、懐かしく大切に思い返している。
教科書にも、授業をして下さった先生にも、学校にも教室にも、
私は今でも、とても感謝している。

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