転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



実家の父が、修道学園の近所のなんとかいう健康センターで、
胃内視鏡検査を受けた。原爆検診関係のものは、ここでしているらしい。
カメラで見た感じでは、差し迫ってどうこういうほどの病変は無い、
という話だったそうだが、一カ所ふくらんでいる箇所があったので、
そこから組織を取って生検に出した、とのことだった。
そのほうの結果は一週間後。
結局、それを聞くまでは何もわからないわけだ。

父は、76歳のきょうになって胃カメラ初体験だったが、
「いや別に全然なんともない検査だった。
オエ~いうこともなかったしね、痛くもなんともない。
咽喉の麻酔を貰って5分ほどしたら、それを口から出して、
ベッド行って、マウスピースつけてもろうて、
『はい、カメラ入れます。今、食道です、胃に入りました』って」
と鎮静剤も何もナシで楽勝の検査だったと自慢していた。
・・・それは、例外的なほど、巧い先生だったのではなかろうか(^_^;)?

そういえば、うちでは舅が、六十になった頃から、
たびたび胃腸の検査を受けていて、
そのほうの体験談にはこと欠かなかった。
検査前は食うなと言われていたのに忘れて食事をしてしまい、
カメラにネギが映って医師にむちゃくちゃ叱られた話とか、
検査室に入ったら、なぜかいきなりベッドに仰向けにされて、
婦人科の内診さながらの姿勢で大腸ファイバーをされた逸話等があり、
舅は、一般的な胃内視鏡ごときはもう、
なんべん飲んだか覚えとらんわ、というオーソリティだった。

だが舅だって、初めの頃にはヒドいめにもあったのだ。
あるときヘタな医師に当たって、死ぬかと思うほど胃カメラが苦しくて、
挙げ句に「異常ありません」などとその医師が言うものだから、
「じゃあ検査なんか、すな!」と舅は怒り狂った(理不尽)。
それで、そのときから学習し、以後は必ず鎮静剤を使って貰い、
ウットリしてから受けることにした、と舅は語っていた。

舅は、また、その豊富な経験から、
大学病院の内視鏡が良い、という結論を出していた。
「○○病院のはひどかったで。こがいに太いのを押し込んでんじゃけ。
その点、大学病院のがええわい。管も細いし、鎮静剤も使うてくれて、
ありゃあ、ラクでええで。ノドのゴミも取れて、通りが良うなるしの」
と、一部、意味不明ではあったが、どうやら、彼の受けた中では、
大学病院のものが最先端の検査器具だったらしい、
ということが伺われた。

ただ、舅によると、鎮静剤を使った検査の場合、
終了後、すぐには完全に覚醒しない患者さんもいるので、
病院の決まりとして、一定時間、休んでからでないと帰らせて貰えず、
更に、ラリった状態で車の運転をすると危険なので、毎回、
「きょうは、自家用車で来ておられませんね?」
と鎮静剤の前に看護師さんに念を押されていたのだそうだ。舅は、
「はい。乗って来ていません」
とオウム返しに答えていたそうなのだが、私の知る限り、
舅はいつでも、病院には自分で車を運転して往復していた筈だ(^^ゞ。

さて、実はきょうは、父の検査の帰りに、両親がマンションに来た。
母も、父の検査を心配して付き添い、・・・と言っても、
父の運転する車に同乗して来ただけなのだが、
我が両親としては珍しいことに、本日はふたり揃っての外出だった。
だから、前述の検査の自慢話は、うちに来た父からじかに聞いたのだ。
母のほうは、日頃から病弱であまり出歩かない人なので、
我が家に来たのはこれが完全に初めてだった。
そういえば、転勤先にもこの人はほとんど来たことがなかった。

「まあ、綺麗なお部屋やね」
と母はあちこち眺め回して、感心して言った。
一応、新築なのだから綺麗なのは道理だろう。
「テーブルも、棚も、きれいになっとるね。
不思議やね。こういうマンションは、ホコリ、出んのかね」

あたしが掃除してんだよ(--#)

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