時代が変わったなあと思うことが時々あって、私たち昭和の人間はそろそろ適応する意識を持っておかないと、前時代の常識で物事を考えてしまいそうになります。
若い頃、夏になると近くで行われていた祭りによく出かけて行きました。
垂水も明石も神社が多く、いろんな所で祭りの夜店が出ていて、祭りに行くというか、夜店目当てで出掛けました。
食べ物ばかりではなく、射的やくじ引きもありました。
射的は高価ものは倒れないようにしてあるとか、くじ引きに当りが入っていないとかということは常識的に思っていて、もし当りを引いている人を見たらサクラだと思うのは、笑い話というか当たり前に思っていたことでした。
それは親が子に教えることだったり、仲間同士で言い合っていたことで、夜店でそういったゲームをするのは賞品を狙うのではなく、その場のノリ、祭りの気分を盛り上げるためにするものだと思っていました。
だますとか、だまされるという感覚ではなく、夜店とはそういうものだとお互い分っているという感じだったように思います。
当りがあると信じてお金をつぎ込めば、つぎ込んだ方が恥ずかしいと言われたのが前の時代でした。
それは21世紀か、平成かわからない、いつの間に変わったのか分りませんが、今は露店商であってもちゃんと当りを入れておかないと警察に通報されて逮捕される時代になっています。
それが良いとか、悪いとかではなく、時代が変わったと分りやすく感じる瞬間でした。
考えてみると、前の時代は、だます方はもっと悪いに決まっているけれど、だまされる方も恥ずかしいと考えられていた時代でした。
話が違うし、同列で語ると怒られるかもしれないけれど、子供の頃学校で先生に怒られて、大きなコンパスで頭を叩かれたというようなことがあっても、絶対に家に帰って母親に言えなかったし、皆そうだったと思います。
もしそれを母親に言ってしまったら、なぜ先生に怒られるようなことをしたのかと、さらに怒られるに決まっているから。
でも今は、自分の子供が怒られることをしたことを棚に上げて、学校にクレームを入れる親もいると聞きます。
私の感覚では怒られた方が恥ずかしいに決まっていると思うけれど。
学校の問題は、もっと複雑でいろんなことがあるのだと思いますが。
でも気付いたら時代が変わっていて、今まで自分が常識だと思っていたことが通用しなくなっていた、ということもボチボチ出てきました。
自分さえよければいいと考える人が多いのかもしれませんね。私もそんな立派な人間ではないので、偉そうなことは言えないけれど、人の迷惑や相手の気持ちくらいは考えます。
怒ると言えば、最近細かいことが気になるようになって、例えば食事にいったレストランなどでお店の人に注意ばかりしているので、妻がいつもビクビクしています。
偏屈と思われる頑固爺になりそうな気がします。
今の露天は、私たちが子供の頃と違って、金魚すくいの網は信じられないくらい破れやすいし(すくえて2,3匹 (T_T))、1回の値段が高くて、気軽に遊ぶために出せる金額ではなくなっているような……。
ナイフを持っている児童の頭を叩いて辞職した校長も…私たちの頃は叩かれるのは特別なことではなかったし、小学生がナイフ持って学校に行ってたなんて、保護者の方が学校に謝りに行ってもおかしくないと思うのに…。
日常生活でも、親からして非常識だな…と思う光景を目にすることはあります。
スーパーで買い物した物をレジ袋に入れる台に座っている若い父親…。
子供がするようなことを、親がしている。
私が注意しても、舐められて逆ギレされそうなので見逃しているけど(逆ギレされるのが怖いのではなくて、騒がれるとこっちの方が恥ずかしい)、そういう時はお店の人に言って貰えばいいですね。
「常に何かに怒っている」と言われたことがあるけれど、オカシイものはオカシイよ~~!
「盲導犬を見習え!」と言いたくなる時がある。