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なぜ『孟骨水道』という暗礁だらけのところを通ったのか?  時間短縮のために?

2014-04-17 | マスコミ報道をそのまま掲載・資料
2014年04月17日/中央日報日本語版【社説】

どうして大韓民国で旅客船沈没のような惨事が起きるの


私たちは昨日、一日中、心を落ち着かせることができなかった。惨事が、それも国民の目の前のテレビ画面で生中継されている中で起きた。波高0.5メートルの穏やかな海、11度の水温、そして近隣に島々が見える平和な海で、旅客船「セウォル号」が半分ほど傾いていた。仁川から済州へ、ときめきながら修学旅行に行く安山檀園高の生徒を含む475人が乗ったカーフェリーだった。救助作業を見守っていた私たちは、「乗客全員救助」という最初の報道に安心した。しかし時間が過ぎるにつれて犠牲者が確認され、290余人が行方不明という情報に接することとなった。どうして後進国でも起きないような惨事が大韓民国で起きるのか。

生存者の証言を聞くと、信じがたい状況だ。清海鎮海運はセウォル号を「ゲームセンターやシャワー室まで完備した国内最大・最高のクルーズ船」と自慢した。しかし最も重要な乗客の安全は見られない。生存者によると、徐々に傾いた長さ146メートル、6852トンの巨大な船体の中は、完全にパニック状態だった。コンテナが崩れ、乗客が下敷きになり、四方から海水が流れ込む状況だが、「危険だからその場から動いてはいけない」という内容の船内放送が繰り返されたという。後に「全員海に飛び込みなさい」という避難放送で海に飛び込んで救助された生徒は「船内に閉じ込められて逃げられなかった友人と乗客が多い」と涙声で話した。

あきれるのは船会社と中央対策本部も同じだ。午後2時に368人が救助されたと発表したが、30分後には救助された人は約160人で、290人余りが行方不明という事実を発表した。乗船者の数も477人から459人、462人などと変わった。何度も多くの惨事を経験してきた韓国社会だが、これほど無能な対策本部は見たことがない。朴槿恵(パク・クネ)大統領が迅速に海軍と海洋警察を現地に投入した措置に、多くの国民は安心した。しかし最も基礎的な人の数もきちんと数えられず右往左往する対策本部を見ると、怒りと絶望を隠せない。

最も初歩的な疑問から提起したい。船会社側は「航路の離脱はなく、代理運航でもない」と主張した。しかし珍島の漁民らは「いつも島の外側をう回していた大きな旅客船が、なぜ『孟骨水道』という暗礁だらけのところを通ったのか分からない」と証言している。当初15日午後7時に出発する予定だったが、霧などで2時間ほど遅く出港したため、時間短縮のために危険水域に入ったのではないか疑問だ。また、船舶事故が発生すれば緊急避難のために救命ボートが事故周辺海域に浮くのが常識だ。しかし沈没直前のセウォル号の周辺には、数十隻の漁船と海洋警察・海軍艦艇だけが救助作業をしていただけで、救命ボートは全く見られなかった。船員はSOS信号を送っただけで、最も初歩的な安全措置も取らなかったのではという疑いが残る。関係当局が厳密な事故調査と徹底的な捜査を通じて、一点の疑惑もなく確認しなければならない部分だ。


私たちはまず犠牲者の遺族に哀悼の意を表する。そして今も子どもたちの名前を叫んでいる保護者とその痛みを分ち合おうと思う。沈没中の船から送られた「母さん、話せないかと思って文字を送る…愛してる」、「どうか連絡してほしい…母さんがすぐに行く」という携帯電話のメッセージを見ると、胸が張り裂けそうだ。したがって当然、いま最も急がれるのは、最後の1人まであきらめず救助し出すことだ。明日、事故海域には雨が降り、強風が吹くという予報が出ている。それでも、現地に投入された海洋警察特攻隊、海軍救助隊、陸軍特殊戦司令部要員は全力を尽くし、船室から抜け出せないまま切なく救助を待っている人たちを最後まで捜し出すことを願う。そのほとんどがまだ夢をかなえられていない私たちの幼い高校生であるからだ。先日、慶州のリゾートの体育館の屋根が崩落し、10人の大学新入生が亡くなったばかりだ。今回また、大人の過ちでどれほど幼い生命を失わなければならないのか、悲しみに耐えがたい。

これ以上こうした惨事は大韓民国の名前の前で許すことができない。結果的に「じっとしていなさい」という案内放送に忠実に従った人たちが犠牲になる社会、あちこちで安全不感症が見られる社会は正常でない。朴大統領は国民の安全を最優先にする幸せな社会を約束した。非正常の正常化を約束した。私たちは珍島の惨事を見ながら、その約束に深い疑いを抱いた。もう朴槿恵政権は安全な社会を実際に作るのか行動で見せてほしい。それが、地域の特性上工場勤労者が多い安山檀園高の生徒の保護者が、汚れた作業服姿で学校の室内体育館に駆けつけ、必死に子どもの安否を確認する今日の私たちの悲しい自画像の前で投じる切実な注文だ。