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1700万個のろうそくがもっとも平和で美しい方式でこの歴史を広げて見せました。暗闇を灯した一つ一つの光は、国民一人一人が大韓民国の主権者であることをもう一度宣言しました。

2018-03-13 | 市民の暮らしを守る

【全文訳】3.1節 記念辞:文韓国大統領


尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん、 3.1運動の99周年です。

3.1運動は、今この瞬間も私たちの生活に生々しく生きています。

西大門刑務所のレンガ一つ一つには苦難と死に立ち向かった崇高な話が刻まれています。

大韓独立万歳の叫び声が聞こえてくるようです。今日、私たちは剥製化された記念式ではなく 独立運動の現場で 歴史と共に息づく記念式を開こうとこの場に集まりました。

日帝による強制占領期のあいだ、毎年2600余名が、西大門刑務所に投獄されました。

1945年8月15日の解放のその日まで、10万余名近くがここに収監されました。

10人のうち9人が思想犯と呼ばれた独立運動家でした。10代の青少年からお年寄りまで、南の済州島(チェジュド)から北の咸鏡道(ハムギョンド)まで、年齢と地域に関わらず祖国の独立のために、実践した方たちでした。

母と息子、父と娘、兄弟姉妹が、共に投獄されもしました。

多くの母と妻がこの刑務所前の路地で、針仕事や肉体労働をしながら、息子と夫の収監生活を支えました。

収監者だけでなく、その家族たちも皆、独立運動家でした。

国民の皆さん 99年前の今日、村と市場に檄文が貼られました。独立宣言書が手から手に伝達されました。

ソウルとピョンヤン・鎮南浦(チンナムポ、現南浦)・安州(アンジュ)、義州(ウィジュ)・定州(チョンジュ)・信川(シンチョン)、元山(ウォンサン)など全国各地で、同時に独立宣言書が朗読され、万歳運動が始まりました。

万歳運動は瞬く間に地方都市と村々にまで拡大していきました。遠く中国の間島とロシアの沿海州、米国フィラデルフィアとハワイのホノルルの空にも

独立万歳のかけ声が鳴り響きました。

その年の3月1日から5月末まで、国内だけで1542回もの万歳運動が起き、当時の人口の10分の1を超える202万余名がこれに参加しました。

3.1運動の経験と記憶は、日帝の強制占領期の間じゅう熾烈だった抗日独立運動の精神的な土台となりました。

3.1運動以降、数百、数千名の独立軍が毎日のように鴨緑江と豆満江を越えました。

大韓民国会、北路軍政署、大韓独立軍、軍務都督府、西路軍政署、大韓独立団、光復軍総営を構成し、日帝の軍警と血みどろの戦闘を行いました。

一人が倒れたら十人が立ち上がりました。安重根(アン・ジュングン)義士の後を受け継ぎ、姜宇奎(カン・ウギュ)、朴載赫(パク・ジェヒョク)、崔寿鳳(チェ・スボン)、金益相(キム・イクサン)、金相玉(キム・サンオク)、羅錫疇(ナ・ソクチュ)、李奉昌(イ・ボンチャン)すべて挙げきれないほどの義士たちが義烈闘争を続けていきました。

1932年4月29日の尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の上海義挙がその頂点でした。1937年一年のあいだ国内では、3600件もの大小の武装独立闘争が行われました。

1940年には大韓民国臨時政府が、大韓民国はじめての正規軍である光復軍を創設しました。

すべて大韓民国建国の父たちです。天安の市場で万歳運動を主導した18歳の柳寛順(ユ・グァンスン)烈士は、地下の独房で拷問と栄養失調により殉国しました。                                17歳という花ざかりの年歳の董豊信(トン・プンシン)烈士は咸鏡北道明川(ミョンチョン)での万歳運動に参加しここ西大門刑務所で殉国しました。

夜を徹して太極旗を描いた釜山の日新(イルシン)女学校の学生たち、初の女性義兵長の尹熙順(ユン・ヒスン)義士、百凡・金九先生の剛直な母、郭楽園(クァク・ナグォン)女史、3.1運動直後の3月9日に46歳で鴨緑江を越え西路軍政署に加入した独立軍の母、南慈賢(ナム・ジャヒョン)女史、槿友(クヌ)会事件を主導した後、中国に亡命し義烈団の活動を行った朴次貞(パク・チャジョン)烈士、

大韓民国臨時政府の独立資金を作るために、国境を6度も越えた鄭靖和(チョン・ジョンファ)義士、

私たちには3.1運動の精神で大韓民国を打ち立てた、建国の母たちもいました。私たちの先祖たちの独立闘争は、世界のどの国よりも熾烈でした。

光復は決して外からもたらされたものではありません。先祖たちのが「最後の瞬間」まで死を賭けて共に戦い成し遂げた結果です。

国民の皆さん、3.1運動の最も大きな成果は独立宣言書に従った大韓民国臨時政府の樹立でした。

3.1運動により樹立した大韓民国臨時政府の憲法は、大韓民国が民主共和制であり、国の主権が国民にあると明確に刻んでおきました。それが今の大韓民国の憲法第1条になりました。

王政と植民地を越え、私たちの先祖たちが民主共和国として進むことができた力が、まさに3.1運動でした。

3.1運動の力が弱まる時、主権者である国民が再び立ち上がりました。独立運動は愛国志士たちだけのものではありませんでした。商人たちは撤市(チョルシ)運動を行いました。

木こり、妓生、盲人、鉱夫たち、名も無く生きた私たちの父と母、姉たちまで先に立ちました。

国民主権と自由と平等、平和に向けた熱望が、一人ひとりの生活の中に入ってきました。階層、地域、性別、宗教の壁を越え、一人ひとりが堂々とした国民になりました。

このように大韓民国を国民が主人である民主共和国にしたのがまさに3.1運動です。大韓民国臨時政府は、私たちに憲法第1条だけでなく、大韓民国という国号と太極旗と愛国歌という国家の象徴を残してくれました。大韓民国が臨時政府の法統を継承したと、私たちの憲法が明かしている理由です。

去る冬、私たちは100年の時間を飛び越えました。3.1運動で始まった国民主権の歴史を生き返らせました。

1700万個のろうそくがもっとも平和で美しい方式でこの歴史を広げて見せました。暗闇を灯した一つ一つの光は、国民一人一人が大韓民国の主権者であることをもう一度宣言しました。

新しい国民主権の歴史が大韓民国建国100周年に向け再び書かれ始めました。

私とわが政府は、ろうそくが再び灯してくれた国民主権の国を確固として守っていきます。

3.1運動の精神と独立運動家たちの人生を、大韓民国の歴史の主流として打ち立てます。2020年に開館する大韓民国臨時政府記念館には大韓民国を立てた数多くの先祖たちの話が込められるでしょう。

3.1運動に参加した木こりも、鉱夫も、妓生たちも、誇らしい独立運動家の名前として刻まれることでしょう。国内外でまだ探せていない独立運動の遺跡たちと独立運動家の痕跡も続けて発掘していきます。重慶の光復軍総司令部も、臨時政府樹立100周年に合わせ復元されるでしょう。

国民の皆さん、私たちには3.1運動という巨大な根があります。

解放と国民主権をもたらした民族の根です。私たちには独立運動と共に民主共和国を打ち立てた偉大な先祖がおり、絶対貧困を抜け出し経済発展と民主化を成し遂げた建国2世代と3世代がいます。

またこの時代に、共に歩いていく道を灯してくれたろうそくがいます。私たちはこれ以上、私たちを低く見る必要はありません。私たちの力で光復をもたらした、自尊心あふれる歴史があります。

私たちは私たちの力で平和を作り出す力があります。私はこうした国民たちの力と自信をもって、3.1運動と大韓民国建国100周年を恒久的な平和態勢の構築と平和に基づく繁栄の新しい出発線として作り上げていきます。

そのために私たちは、間違った歴史を私たちの力で再び立て直さなければなりません。独島は日本の韓半島侵奪の過程で、最も先に強制占領された私たちの土地です。私たち固有の領土です。

今、日本がその事実を否定することは、帝国主義の侵略に対する反省を拒否するのと同じことです。

慰安婦問題の解決においても、加害者である日本政府が「終わった」と言ってはいけません。戦争の時期にあった反人倫的な人権犯罪行為は終わったという言葉で蓋をされるものではありません。

不幸な歴史であるほど、その歴史を記憶し、その歴史から学ぶことだけが真の解決です。日本は人類普遍の良心で歴史の真実と正義を直視しなければなりません。

私は日本が、苦痛を加えた隣国たちと真に和解し、平和共存と繁栄の道を共に歩いていくことを願います。私は日本に特別な待遇を要求しません。ただ最も近い隣国らしく真実の反省と和解の上で、共に未来に進むことを願うだけです。

尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん、                私たちは今日、3.1運動を生々しい記憶として蘇らせることにより朝鮮半島の平和が国民の力で成し遂げられるということを確認しています。

私たちは今後、光復100年に向かうあいだ朝鮮半島の平和共同体、経済共同体を完成させなければなりません。分断がこれ以上私たちの平和と繁栄に障害とならないようにしなければなりません。

私は今日、国民の皆さんにこの目標を共に実現させていくことを提案します。貧富、性別、学閥、地域の格差と差別から完全に解放された国を作りましょう。金九先生が夢見た、世界平和を主導する文化強国に向けて進んでいきましょう。

3.1運動というこの巨大な根は決して枯れることはありません。公正で正義がかなう国はすでに国民の心の隅々で99年前から育っていたのです。この巨大な根が朝鮮半島で平和と繁栄の木を丈夫に育てていくはずです。

大韓民国は世界で最も偉大で美しい国となるでしょう。

ありがとうございます。

3月1日

文在寅

 

           

 



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