強制労働被害者が「三菱重工業勤労挺身隊」の実態を証言
1944年、三菱重工業の朝鮮女子勤労挺身隊として動員され強制労働をさせられた ヤン・クムドクさんが8日、東京千代田区の参議院議員会館で当時の状況を証言している。 彼女は「私が強制労働させられたのでなければ何だと言うのか」と問うた=キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社
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「1944年5月30日、コンドウという校長先生が教室に来て『日本に仕事をしに行けば学校に行かせてくれる。お金もたくさん稼ぐことができる』と言い ました。 それで両親に黙って印鑑を持ち出しました。でも怖くなってじっとしていると、そんなことをすればお父さんやお母さんを警察署に連れて行くといいました」
8日、東京千代田区の参議院議員会館地下1階で開かれた「三菱重工業6・24朝鮮女子勤労挺身隊訴訟」報告会に参加したヤン・クムドクさん(84)は、 「皆さん、ありがとうございます」と落ち着いた声で証言を始めた。 しかし、70年間こらえてきた恨みのためか、すぐに声が大きくなった。 彼女は「(私のように)国民学校6年生の子供を連れて行って1年8カ月間にわたって仕事が下手だと蹴ったり殴ったりしました。 当時の日本は自分たちの国が世界で一番立派で正直な国だと教えました。 それではなぜ私たちに給料も払わず補償もしないのか理解できません」。彼女は証言の最後にはついに涙を流した。
1944年、日本人の校長が懐柔・脅迫 「1日12時間ずつ働かせても 仕事が下手だと言って蹴ったり殴ったり…
日本はどうしていまだに補償しないのか」 産業施設世界遺産の登録に対して “強制労働”ではないとの日本主張に
自身が体験した悲痛な証言で反論
今月5日、端島(軍艦島)など日本の明治時代の近代文化遺産がユネスコ世界文化遺産として登録されたことを契機に、植民地時期に行われた日本政府による 朝鮮人“強制労働”を巡る両国間の論争が続いている。 日本政府は先週、ユネスコ委員会で「(端島など一部産業施設で)1940年代に韓国人などが「自分の意思に反して」(against their will)動員されて「強制的に労働(forced to work)させられたことがあった」という事実は認めたが、これは強制労働ではなかったと強弁している。 しかし、勤労挺身隊被害者おばあさんたちの経験は、強制労働の性格が何なのかを明確に証言している。
ヤンさんの法廷闘争が始まったのは今から16年前に遡る。ヤンさんらは1999年3月、日本の名古屋地裁に強制労働に対する損害賠償を請求する訴訟を起 こした。 しかし日本の最高裁判所は2008年11月、「個人請求権の問題は1965年の韓日協定で完全且つ最終的に解決された」として最終敗訴判決を下した。
挫折していたヤンさんが再び希望を持つようになったのは、2012年5月に韓国最高裁(大法院)が「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や植民支 配と直結した不法行為による損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれない」という判決を下したためだ。 ヤンさんらは2012年10月、韓国の裁判所に再び訴訟を起こし2014年4月の1審、その後先月24日の2審でも勝訴した。 ヤンさんは「どんな基準で見ても私は強制労働をさせられた。朝7時半から一日12時間、殴られながら仕事をした。 日本の子供たちとは業務もご飯も手洗いに行く所も差別を受けた。 私の命をかけても私がさせられたのは強制労働だと言うしかない」と話した。
東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2015-07-08 19:46
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/699466.html 訳J.S(1630字)