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2011-08-11 | 投稿・投書・私の意見

投稿  t・r 京都

【平壌発】 在朝被爆者の怒り 「死を待っているのか」~ 2000年当時の小渕首相は迅速な解決の必要性を認めて実態調査に乗り出した。しか し、その後の日本政府は、厚生労働大臣が言葉を並べるだけで、問題解決の為の実質的措置を全く講じていない。この日本政府の無責任な態度の負荷とは?(朝 鮮新報 8.8)

「日本政府は、私たちが死ぬのを待っているのか」。朝鮮原爆被害者協会のパク・ムンスク副会長(67)は、被爆者たち怒りの声をこのように代弁する。日本政府は、1945年8月に広島と長崎で被爆し、朝鮮へ帰国した在朝被爆者に対してだけ、何ら援護措置を講じていない。

被爆2世も苦痛

パク副会長は、長崎の爆心地で被爆。当時2歳だった。1960年に帰国した。
パク副会長は幼いときから胃と大腸を患い、貧血がひどかったという。50代以後は高血圧に悩まされ、心臓を病むようになったという。

また、本人だけでなく被爆2世も苦痛を味わっている。

パク副会長の娘は今年5月、肝臓ガンで亡くなった。

パク副会長は、「娘は病気の進展が速く、薬に対する反応がない体質だったため治療しようにも施す術がなかった。被爆の後遺症以外に考えられない」 としながら、「原爆が落ちたときいっそ私がそのまま死んでいたら、娘は一生苦労しながら死ななくても済んだ。そう考えると、胸がはり裂けそうだ」


一方、リョ・イルスクさん(78、平壌市普通江区域居住)は貧血と高血圧、膀胱炎などの症状に苦しんいる。

12歳の時に広島で被爆し、1972年に帰国した。


リョさんの娘も、貧血で倒れては「死の峠を超えてきた」(リョさん)という。家事もろくにできない状態だという。リョさんは、時々襲われる激しい痛みに耐え、高齢の身体にムチを打ちながら娘の世話をしている。


「日本の謝罪と補償を取りつけるまでは死ぬに死ねない。今までその意志だけで生きてきた」


無責任な態度

日本に住んでいる原爆被害者たちは、日本政府から医療支援および健康管理手当を受け、他国に住む被爆者についても、数回にわたり援護費が提供されてきた。

日本の「被爆者援護法」は、「被爆者健康手帳」の発給に基づいた健康管理手当および医療支援金支給を定めている。


日本政府は、「被爆者健康手帳」の発給において国家差別をしないとしている。が、国交のない朝鮮の被爆者たちが手帳の発給を受ける方法については提示していない。


日本政府が現在実施している援護措置は、在朝被爆者にそのまま適用することはできない。

在朝被爆者問題は、日本の朝鮮植民地統治のもたらした産物であり、それに関連した援護措置も日本の過去清算と密接に関連した問題である。


パク副会長は、日本政府の無責任な態度に怒りをあらわにしながら、「高齢化し、身体を病んでいる被爆者が日本へ行くことは困難だ。このことは日本 政府も知っているはずだ。現在も被爆者が苦しみながら世を去っていっている。日本政府は一日も早く問題を解決しなければならない」と述べた。




※ 在朝被爆者問題/

  2008年に集計されたデータによると、朝鮮に住んでいる原爆被害者は1191人で、そのうち生存者は382人。

2000年、朝鮮被爆者協会関係者が日本を訪問して、朝鮮に住んでいる原爆被害者の実態を知らせた時、当時の小渕首相は迅速な解決の必要性を認め た。これによって翌年の01年、日本は政府調査団を朝鮮に派遣した。その後、厚生労働大臣が04年7月、08年6月に問題解決について言葉を並べるだけ で、実質的な措置はまったく講じられていない。


朝鮮被爆者協会側は、在朝原爆被害者に対する国家の謝罪と死亡者を含むすべての被爆者たちに対する物質的補償を求めている。

 

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