羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「壁と卵」と祥月命日

2009年03月29日 09時22分41秒 | Weblog
 今日、3月29日は、野口三千三の祥月命日である。
 11年前、31日の通夜と4月1日の告別式は、満開の花の下で執り行われた。

 さて、昨日、土曜日クラスの方から、文芸春秋09年4月号「僕はなぜエルサレムに行ったのか」村上春樹 独占インタビュー&スピーチのコピーをいただいた。
 そのなかでー父にまつわる死の気配ーで、彼はこのようなことを言っておられる。
「人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです」

 野口が亡くなった後、野口体操のミッションを始めた私は、「野口を偶像崇拝しないこと。原理主義に陥らないこと。(必ずしも野口体操がそうであったわけではないが)集団が陥りやすいカルト的な要素は排除すること」
 この三つの注意事項を自分に課した。
 具体的な在り方の一つをあげれば、レッスンをするとき、野口の言葉は必要最小限度に留め、出来るだ自分のことばで語るように心がけた。
 
 何の道でも、創始者と言うものはカリスマ性が高い。
 野口もその例外ではなく、生まれながらに魅力的なカリスマ性を備えていた。その部分を強調していったら、野口体操の持つ良さは、伝わらないと思えた。むしろ危険である、と私のなかの《コモンセンス》のようなムーブメントが働いていたと思う。

 村上春樹のインタビュー記事とスピーチを読んで気がついた。
 野口の身体哲学や価値観や体操を社会化し残していきたい、と思ったいちばんの理由はこれだったに違いない。
 スピーチから触発された私の言葉で言ってみよう。
 野口が教えてくれたこれとは、‘生卵を立てるのはとても難しい。しかし、卵だって立つということ。そして生卵を立てるのは私(あなた)自身だ。もっと大事なことは、立つことを信じること。’
 ぶつかって割れる卵なら、一度は立ててから投げてみようではありませんか。
 少なくとも、野口は、新しい体操観を壁の前で生卵を立てるように私たちに提示してくれた。

 11年目の春。
「我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと」(村上春樹 壁と卵)
 このコピーを携えて、今日のレッスンに出かけようと思う。
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