羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

朝の体操ー4-

2009年03月25日 13時59分49秒 | Weblog
 今朝は、今までになく静かで穏やかな体操になった。
 雨がふる気配から、空気は湿気を含んでいたことも静けさをもたらすひとつの原因だったかもしれない。

 さて、そんななか、逆立ちを練習しはじめたころのことを思い出した。
 手で立つ逆立ちは、野口先生に包助していただいてきた。
 楽になってからは、ほとんど真上を教えてくれるだけで、立てるようになっていた。
 決して大きな力を加えることはない。
 鉛直方向にからだの縦軸を一致させる感覚をひらく包助だった。

 それに比べて‘ヨガの逆立ち’は、いちばん最初は、先生の誘導で立つ経験をしたと思う。
 しかし、ほとんど自分ひとりで練習をしていた。

「からだが柔らかくなれば、平らな面に落ちるのはそれほど危なくないんですよ」
 その言葉を信じて、まずは‘やすらぎの動き’‘真の動き’そのほか、いわゆる床の上に腰を下ろした状態で、体の中身を徹底的にほぐすことからはじめた。
‘にょろ転’(いわゆる受身のような動き)のさまざまなヴァリエーションで、部屋の中をにょろにょろ~と動きまわることが楽になるまで逆立ちを試みることはなかった。

 床に触れているところから流れ出した粘性の高い液体が、染み出すような動きを求めた。
 からだの中心から蕩け出て、実際には平らであっても動きのイメージは、水が低いところに流れるような動きを探っていった。

 たとえ転倒しても怪我しないようなほぐれの極を探ったように思う。
 それがある程度可能になったところで、ヨガの逆立ち練習にはいった。
 体操教室に足を踏み入れて、かなりの時間が経ってからだった。
 
 自宅のなかでもいちばん広い畳のある座敷の真ん中で、練習をはじめた。
 最初からうまくいったわけではない。
 試行錯誤を繰り返し、ある日、トツゼンに腰が回転しながら、足が自然に浮き上がった。
 そう感じた瞬間に、向こう側に倒れこんでしまった。
 そのとき対処できたのは、からだを緩めて徐徐に床に倒れこみ、結果として‘にょろ転’をしているからだの反応だった。

 文章にしてみると長い時間のようだが、まさに一瞬の出来事。
 しかし、自覚的にはスローモーションの映像を見るような、ゆったりとした時間経過なのだ。

 そうこうする内に、次第に頭の中心に乗ってくる感覚がつかめて、いつの間にか逆立ちになってしまった。
 そのほかにも‘上体のぶらさげ’などで、液体的な動きの流れを精緻に感じ取る練習なども逆立ちの身体イメージつくりにつなげていったように記憶が甦った。

 逆立ち練習の前に、長い時間を‘からだほぐし’‘からだの液体イメージ’‘寝にょろ感覚’等々、地球の中心に流れていく感覚訓練を行っていたように思う。
「座位によるほぐし」に費やした長い時間は、回り道のようであって、決してそうではなかった。

 従って逆立ち練習をはじめてから、まっすぐな逆立ちになるのに、時間はそれほどかからなかった。
 昔を思い出し、今日もほぐしを丁寧に行ってみた。
 初心にかえる、ということはすごく大事なこと。

 祥月命日まで、あと4日と迫った。
コメント
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