羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

啓蟄

2009年03月06日 08時38分56秒 | Weblog
 今年は暖冬らしい。
 確かに、花梨の花芽が紅色の蕾を膨らませている。
 いつもなら春の彼岸を境に、植え替えをするのだが、繰り上げないと新芽が伸びすぎてしまいそうな気配である。

 3月にはいって、寒い日が続いている。しかし、全体の推移は、暖冬傾向を受けて植物を春へと早めに導いているようだ。
 すでに2月末には、蝿が部屋の中に入っていたし、二日前にも障子に一匹止まっていた。

 今年は、植え替えを見送っていた‘初雪蔓’と‘花梨’から、手をつけようと算段している。
 次には、‘欅’だ。それが終わったら、‘紅葉’へとすすめたいと思っている。

 丁度、新学期の準備や朝日カルチャーではじめての試み「身体サミット・鼎談」等々もあって、なんとなく植え替えが遅れそうだ。
 内心、穏やかでない。

 今朝も、新聞を取りに出たとき、すでに雨が降っていた。
 木々や土から発せられる匂いは、しっかり春になっている、と感じながら新芽の様子を伺った。
 毎年、3月には、植物に手を触れ、土を混ぜ合わせ、鉢を選び、植え込みをする前に、一鉢ずつ土を掘り起こし鉢から木を引き抜き、根についている土を落とし、伸びすぎた根に鋏を入れて、ようやく植え込み作業にかかることで、春を実感している。
 一年に一回、成長加減を感じるこの時期ならではのクオリア体験なのだ。

 そのとき。
 根をみて命を感じ。
 土の減りをみて元気さを判断する。
 元気な木は、たった一年で、土を食べきっている。
 鉢全体に根を張り、言葉通り‘ねばり強い木’として生長しているのだ。

 我が家は街中にあって、家が密集している。
 だから、冬場の太陽の回り方では、日中いっぱい当たるわけではない。
 しかし、どんな隙間でも太陽は植物に恵を与えてくれる。
 他の条件。つまり、風は抜けることで新鮮な空気をもたらし、水は水道水だが汲み置きしておけばそれなりにまろやかになる。
 
 そこで思うこと。
 枯れる木もあるが、それは命の掟だ。
 生命は、しぶとい。簡単に命を落とすことはない。 
 その姿や営みに勇気をもらっている。

 さて、昨日は‘啓蟄’だった。
 いよいよ始まる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする