今年は暖冬らしい。
確かに、花梨の花芽が紅色の蕾を膨らませている。
いつもなら春の彼岸を境に、植え替えをするのだが、繰り上げないと新芽が伸びすぎてしまいそうな気配である。
3月にはいって、寒い日が続いている。しかし、全体の推移は、暖冬傾向を受けて植物を春へと早めに導いているようだ。
すでに2月末には、蝿が部屋の中に入っていたし、二日前にも障子に一匹止まっていた。
今年は、植え替えを見送っていた‘初雪蔓’と‘花梨’から、手をつけようと算段している。
次には、‘欅’だ。それが終わったら、‘紅葉’へとすすめたいと思っている。
丁度、新学期の準備や朝日カルチャーではじめての試み「身体サミット・鼎談」等々もあって、なんとなく植え替えが遅れそうだ。
内心、穏やかでない。
今朝も、新聞を取りに出たとき、すでに雨が降っていた。
木々や土から発せられる匂いは、しっかり春になっている、と感じながら新芽の様子を伺った。
毎年、3月には、植物に手を触れ、土を混ぜ合わせ、鉢を選び、植え込みをする前に、一鉢ずつ土を掘り起こし鉢から木を引き抜き、根についている土を落とし、伸びすぎた根に鋏を入れて、ようやく植え込み作業にかかることで、春を実感している。
一年に一回、成長加減を感じるこの時期ならではのクオリア体験なのだ。
そのとき。
根をみて命を感じ。
土の減りをみて元気さを判断する。
元気な木は、たった一年で、土を食べきっている。
鉢全体に根を張り、言葉通り‘ねばり強い木’として生長しているのだ。
我が家は街中にあって、家が密集している。
だから、冬場の太陽の回り方では、日中いっぱい当たるわけではない。
しかし、どんな隙間でも太陽は植物に恵を与えてくれる。
他の条件。つまり、風は抜けることで新鮮な空気をもたらし、水は水道水だが汲み置きしておけばそれなりにまろやかになる。
そこで思うこと。
枯れる木もあるが、それは命の掟だ。
生命は、しぶとい。簡単に命を落とすことはない。
その姿や営みに勇気をもらっている。
さて、昨日は‘啓蟄’だった。
いよいよ始まる。
確かに、花梨の花芽が紅色の蕾を膨らませている。
いつもなら春の彼岸を境に、植え替えをするのだが、繰り上げないと新芽が伸びすぎてしまいそうな気配である。
3月にはいって、寒い日が続いている。しかし、全体の推移は、暖冬傾向を受けて植物を春へと早めに導いているようだ。
すでに2月末には、蝿が部屋の中に入っていたし、二日前にも障子に一匹止まっていた。
今年は、植え替えを見送っていた‘初雪蔓’と‘花梨’から、手をつけようと算段している。
次には、‘欅’だ。それが終わったら、‘紅葉’へとすすめたいと思っている。
丁度、新学期の準備や朝日カルチャーではじめての試み「身体サミット・鼎談」等々もあって、なんとなく植え替えが遅れそうだ。
内心、穏やかでない。
今朝も、新聞を取りに出たとき、すでに雨が降っていた。
木々や土から発せられる匂いは、しっかり春になっている、と感じながら新芽の様子を伺った。
毎年、3月には、植物に手を触れ、土を混ぜ合わせ、鉢を選び、植え込みをする前に、一鉢ずつ土を掘り起こし鉢から木を引き抜き、根についている土を落とし、伸びすぎた根に鋏を入れて、ようやく植え込み作業にかかることで、春を実感している。
一年に一回、成長加減を感じるこの時期ならではのクオリア体験なのだ。
そのとき。
根をみて命を感じ。
土の減りをみて元気さを判断する。
元気な木は、たった一年で、土を食べきっている。
鉢全体に根を張り、言葉通り‘ねばり強い木’として生長しているのだ。
我が家は街中にあって、家が密集している。
だから、冬場の太陽の回り方では、日中いっぱい当たるわけではない。
しかし、どんな隙間でも太陽は植物に恵を与えてくれる。
他の条件。つまり、風は抜けることで新鮮な空気をもたらし、水は水道水だが汲み置きしておけばそれなりにまろやかになる。
そこで思うこと。
枯れる木もあるが、それは命の掟だ。
生命は、しぶとい。簡単に命を落とすことはない。
その姿や営みに勇気をもらっている。
さて、昨日は‘啓蟄’だった。
いよいよ始まる。