羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

朝の体操-1-

2009年03月22日 13時14分23秒 | Weblog
 唐突な書き出しをお許しいただこう。
 とりわけこの十年間は、野口体操の社会化活動に集中して生きてきたように思う。
 といっても、一人でできることではなく、知らないところで支えてくださった方々も含めて、多くの人に助けられた活動だった。
 まさにお蔭様なのである。

 ところが、最近になって、私自身に向かって、この十年を返して欲しい、と悲鳴を上げた。
 何故って、やって来たつもりだったが、野口体操が目指す‘ヨガの逆立ち’への想いがいつのまにか失われてしまっていたことに気づいたからだ。
『原初生命体としての人間』を読み直し、「ヨガの逆立ち」についての記述に魂を抜かれてしまった。

「これではいけない。このままではいけない」
 声に出して読み返し、体操を始めた二十代半ばの自分へと時計の針を逆回ししてみた。
 どんな動きもできず、唖然として身動きもとれず、教室の‘壁のしみ’状態で他の人の動きを見ているばかりの私だった。
「とんでもない動きだわ」
 
 しかし、填まってしまったのだ。
 その填まり方は尋常ではなかった、と思う。
 野口理論も身体哲学も実技も、すべてが驚愕であり刺激的だった。
 ところが無性に‘懐かしい’のである。
 すべてが体の芯に染みこんで、ひたすらに懐かしいのである。

 それまでの二十数年間、求めてきたものは、西洋の音楽でも美術でも芸術でも哲学でも文学でも宗教でもなく、東洋の音楽でも美術でも芸術でも哲学でも文学でも宗教でもなく、野口のいうところの‘原初生命体’としての存在感だった。
 非常に危ない。
 その危なさに、危ないと薄々感じつつ、填まってしまった。
 若気の至りに、今では後悔はない。
 と言うことばが出てくると言うことは、後悔を感じたときもあったということ。
 後悔の一つは、野口体操の社会化を自分に課して、その困難さに打ちのめされそうになったことが度度あったから。
 
 自問自答した。
「ある意味の危険思想ではないのか」
「危険だとしたら、何が危険なのか」
 そうした問いかけをしながらも、社会へ発信していきたいと言う思いは募るばかりだった。
 そして今日まで来てしまった。

 ここまできたのだから、一点で立つヨガの逆立ちを、練習しなおそう。
 今朝は、無理を承知で野口体操をはじめた一九七〇年代に戻そうと体操をしてみた。
 やっぱり無理だった。
 体が変わってしまっていたのだ。
 すでに朝から体は柔らかいのだ。
 しかし、これではない。この柔らかさではない、と思えるのだ。
「そうだ、呼吸だ」
 七十年代、ガチガチの体をほぐしていくキーワードは‘呼吸’しかなかった。
 六十代の野口はこう言った。
「吐くことだけを大事にしてね。ほっとけば入ってくるから」
 ことば通りに、吐きながら動きを試みた二十代のころ。
 情けないことに、当時は、息が吐けなかった。
 ある程度楽に吐けるようになるまでに、どのくらいの時間がかかったか覚えていない。
『野口体操 おもさに貞く』の中に私の写真があるが、あの頃はまだ楽に息を吐くというより、意識的に吐くしか手立てがなかったように記憶している。

 そんなことを思い出しながら、今朝の体操に取り掛かった。
 元に戻れないというのは、呼吸もだった。
 意識的に息を吐く必要を感じなくなっている。
 思いなおして‘坐禅’も試みた。
 何故って、当時は体操の締めくくりに‘坐禅’紛いのことをして終わりにしていたのだから。呼吸を手がかりに最後の三十分ほど坐り続けていた。
 
 今日は坐禅でも、意識的な呼吸をしたい思いはおこらなかった。
「ただ、坐るだけでいい」
 なんだか、気が抜けた。
 野口体操三十数年、その時の流れに半生をかけてしまった自分自身に。 
「スー・ハー、スー・ハーしていた頃が懐かしい」
 
 もう、任せるよりないなぁ。
 一点の野口ヨガ逆立ちを、改めて探りなおしてみよう、っと!
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