羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

朝の体操ー7-

2009年03月28日 11時35分11秒 | Weblog
 野口の処女作『原初生命体としての人間』に、‘生卵との対話’の話がある。
 野口体操の逆立ちのイメージにも、この対話の大切さが説かれている。
 しかし、これだけでは逆立ちは上手くできない。
 つまり、生卵は‘外骨格をもった生きもの’と捉えてみれば、人間のからだとはことなる構造であることははっきりしている。

‘内骨格をもつ生きもの’としての‘逆立ち’には、「骨の重なり感覚」が、大切になる。
 骨が重さを受けてくれるから、余分な力が抜けたぶら下がり感覚(ぶら上がり感覚)を実感としてうけとれるのだから。

 野口が考えたヨガの逆立ち方法では、‘液体的な重さの流し込み感覚’にプラスして積み木のように脊柱を一個ずつ‘積み上げていく感覚’も大切なのだ。
 脊柱の一個一個が滑らかに精確に積みあがるには、筋肉からも意識からも余分な力が抜けて、流体的な動きが可能になる‘柔らかさ’が生まれることが一つの条件である。
 
 誤解を恐れずに表現すれば、頭の真上に乗った脊柱の縦軸が鉛直線の方向に一致したとき、無理のないまっすぐな逆立ちに神が降りてきてくれるのである。

 実は、野口が昭和30年代半ば、沖正弘師が主宰する沖ヨガ道場で学んだとき、悪戦苦闘したのが「ヨガの逆立ち」だったと伺ったことがある。
「とにかく力が抜けないのよ」
 悪戦苦闘するようでは、ヨガの逆立ちは無理だ、と気づいた野口は徹底的に‘ほぐす’ことの大事さを痛感したのだと言う。
 その体験から野口体操で行っている無理のない‘一点ヨガ逆立ち’の方法が編み出されてくるのだった。

 鉛直方向感覚、からだの縦軸感覚、液体的流体的な重さの流れ感覚、まっすぐに重ねられた脊柱感覚、骨が重さを受ける感覚、……といった‘感覚こそ力’という野口体操理論の脊柱が通ったわけだ。
 
 野口が求めた‘ヨガの逆立ち’における脊柱の在り方と感覚は、ヒトが立つことの基本だ、と私は思う。
 坐禅における脊柱の在り方も同じことだと思っている。
 脊柱の一個一個の重さは軽い。その軽い骨を一個ずつ重ねていくことで、柔らかな柱が立つ。地球から生えたように立つ。
 その脊柱の在り方を逆さまにしたのが‘野口ヨガの逆立ち’だ、ということに確信を得た。

 野口体操が行っている《直立、正座、坐禅、ヨガの逆立ち、手で立つ逆立ち》は、ヒトの脊柱の理想の在り方を求める営みかもしれない。
 このことは、「‘動き’とその結果として生まれてくる‘象’」と、「意識や非意識・精神と言われる脳や心の活動」とが深く密接な関係にあることを探るひとつの手立て足がかり、つまり実践に他ならない。

 今週の‘朝の体操’から得た一つの方向をもって、さぁ、これから朝日カルチャーの土曜日クラスに出かけよう。
 
 今日のテーマは、もちろん「ヨガの逆立ち」と、もう一つ秘密のお遊び!
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