羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

吉野裕子さんの思い出

2008年05月16日 19時28分09秒 | Weblog
 以前、このブログにも書いたことがある民俗学者の吉野裕子さんが亡くなっておられたことを、今日の日経新聞夕刊「追想録」で知った。
 ちょうどこの時期の私は‘風邪症候群’で、亡くなったことに気づかずに過ごしていた。
 
 しかし、人文書院から『吉野裕子全集』が出版されることは、新聞の広告欄でみていた記憶が残っている。今日の夕方まで、お元気なことと思い続けていたのだった。
 記事には最終第十二巻の‘後書’を書き終えたところで「肩の荷を下ろすように息を引き取った」と編集者の谷誠二さんの言葉が載っていた。

 五十歳からこの道に入られて、もの凄い量の本を次々と執筆出版された。
 細身のからだのどこにこれほどのエネルギーが隠されているのかと、その秘密に迫りたかった。
 
 朝日新聞の第一面下にある書籍広告で『蛇』という書名の本を見つけて、すぐさま2冊を買い求め、一冊を野口先生にお渡しした。
 そのことがきっかけで、当時は目白にお住まいだったので、二度ほどお訪ねしたことがあった。もちろん野口先生が電話を直接かけて、お目にかかっていただくことになったのは、かれこれ三十年近く前のことだった。

 ご主人と二人で応対してくださった吉野さんは、六十代だったと記憶している。
 この出会いによって野口先生とともに私自身が、民俗学・民族学に興味を抱くきっかけとなり、先生の「蛇」への思いはますます深くなっていった。

「禊は、身を殺ぐことだと、僕は常々言っているんです」
 野口先生が会話の口火を切った。
「私もそう思っておりますの」
「蛇は脱皮に失敗すると命を落とすんです」
「そうですわ。禊は殺ぐことなんですよね」

 当然といえば当然のことなのだが、野口先生の甲骨文字解釈は、吉野民俗学に触れることで自信を深めていったことを私はつぶさに見ていた。
 その日、お二人は短い時間に打解けてしまわれた。
 旧知の間柄のように話を次へと展開させていった。
 傍ではご主人が英国紳士の雰囲気を漂わせながら、二人を優しく見つめておられた。
 日本の蛇信仰、基底文化、民俗信仰が、どのように中国の陰陽五行説によって整理されていくのか、当時はその後の明快な学説が萌芽を見せはじめている頃だった。

 その後、七十代、八十代を迎えて、見事な論を展開されたエネルギーは、女の底力を見せつけるものだった。

 最後にお話を伺ったのは、二十年以上前のことだろうか。
「西大寺のマンションを手に入れましたの。これから居を移して研究に本腰を入れたいと思って……」
 受話器の向こうから響いてくる声は、その後の研究への期待からか、若々しく張りがあったことを思い出す。

 その電話で吉野さんからすすめられた本が、『武則天』中国で唯一の女帝の物語だったことは以前にも書いた記憶がある。
 文庫本で八巻からなる本は著者が餓死に陥りそうな寸前に書き終えたものだった。
「これを読めば日本の古代がよくわかりますよ」

 そしてこの本と白川静『字統』と『字訓』を照らし合わせると、日本文化はまさに中国の歴史の写し絵のようだ。
 大化の改新における律令制度導入に始まる日本の「中国化」つまり中国化された古代日本は、精神生活や感情生活においても隅々中国化が浸透していくことが面白いくらいに理解できるのである。

 唐帝国は日本を衛星国家として一日も早く野蛮国を脱却させるべく「王化政治」を布(し)かせようと図ったと『日本的自然観の研究』斎藤正二は書いている。
 冊封(さくほう)体制システムによって日本を衛星国にしていく過程が読み取れるのである。

 中国化が日本の基層文化、とりわけ信仰にどのような影響をもたらしたのか、吉野さんの研究は、晩年に佳境に入った。

「夫が職を失って、易者のもとを尋ねたのが陰陽五行に入っていく一つのきっかけでしたの」
 扇の民俗学的研究は、日本舞踊を習い始めた五十代からだとおっしゃる。
 蛇研究はご自身の旧姓「赤池」に由来するとも語られていた。
 ある意味でご自身の身近なところから研究テーマを発展させておられた。
 当時から私はこの点に、男性的にズバリと切り取って書かれる内容とは表裏にある女性としての‘しぶとさ’を感じていた。

 享年九十一歳。
 人生後半は、見事に一筋の道を迷うことなくじっくりと歩かれた。
 合掌。

 
 ※因みに、「冊封」とは、中国の王朝が周辺諸民族の国王に称号を与えること。
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オーケストラを指揮するロボット誕生

2008年05月15日 08時28分25秒 | Weblog
 今、少し前のこと。
 洗い髪を乾かしながら、つけっぱなしになっているテレビの画面に、何となく目をやった。
 テレビ朝日の‘やじうまプラス’だった。
 アメリカのミシガン州(不正確です)だったか、オーケストラの指揮をロボットのアシモ君とやらが行っている映像が流れていた。
 音楽は聞こえてこなかったので、曲目はわからない。
 ロボットの胴体はほとんど揺れない、というか腕だけが柔らかに拍子を刻んでいる。人間のからだでは、あの動作はほとんど無理だ。

 しかし、こうした映像に出会っても、まったく驚かなくなっている自分にハッとした。介護ロボットだって、開発されているのだから、不思議はない。

 そこで映像にかさなってメニューヒンがニューイヤーコンサートの指揮を「ヨガの逆立ち」姿勢で、足で演奏したことを思い出した。
 この話は野口先生が新聞の切抜きを下さって知った。その新聞を見つけているのだが、どこにしまいこんだのか、もう数年以上も探しているが出てこない。
「清水の音羽の滝がつきるとも、失せたり針の出でぬことなし」
 十回唱えると、大体の失せモノは出てくると教えられたが、未だに効果が得られていない。

 そうこうするうちにロボットが指揮をとる時代が到来してしまった。
 20世紀は遠くになりにけり。
 すでに私の授業に出る学生の大半は平成生まれとあいなりました!

 野口体操の動きに以前ほど抵抗を示さなくなったことに、複雑な思いを抱くのは、彼らにはわかる筈はないという、こちらの先入観と教える姿勢の誤りかもしれない。
 今日の授業では、先入観を捨てて、新鮮な感覚を失わずに、若者と接してみたい、とロボットに勇気付けられた。
 なんだかおかしな朝だ。
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ジュニア新書『身体感覚をひらく』

2008年05月14日 18時58分40秒 | Weblog
 重版の通知が昨日岩波書店から届いた。
 今日はメールで、編集者から「プロフィールに変更はありませんか」と、問い合わせをもらった。

 おかげさまです。
 本にリンクしている‘ブログ『野口体操・身体感覚をひらく』’も、毎日、数十名の方がたずねて下さっているようだ。
 昨年の1月以降、このブログに途切れなく視聴者がきてくださっている。

 今回、『マッサージから始める野口体操』が出版されたこともあって、新たな読者がこの本を手にとって下さっているのかもしれないと思っている。

 活字や写真では伝わらない動きを、鮮明な映像でなくても‘動画’としてリンクさせている意味は大きい。
 5年前だったら考えられないITの進化である。
 私の悲願でもある‘野口体操の社会化’に、本とホームページやブログのコラボレーションで補えるとは、その思いを抱いた30年前には予想だにしていなかった。
 
 実現にあたって、ご協力いただいている朝日カルチャー教室受講の方々、そして佐治嘉隆さんに多謝!であります。
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日本にも恐竜はいた!

2008年05月13日 07時05分18秒 | Weblog
「もし」という問いかけほど、意味がないことはない、かもしれない。
 でも、人は時にその言葉を発してしまうことがある。

 もし、私が、この家に生まれていなかったら?
 もし、私が、○○をしていなかったら?

 今日は、もし、私が野口体操に出会わなかったら、一生、化石とは無縁の暮らしをしていた違いない、というお話。

 今を去ること三十数年前、野口三千三先生に一個の化石をいただいた。
 潰されたような形の黒い石だった。
「三葉虫の化石よ。古生代だから三億五千万年前にこの星に生きていたの。海の中だけどね」
 そういわれてもちっともありがたくも何でもなかった。

 それから私の手元には、化石が増えていった。
 アンモナイト・ウミユリ・鮫の歯等々、いつの間にか小さな箱に一杯になった。
 
 ある日、本を下さった。それは絶滅から見た生物の進化の物語だった。
 目覚めましたね! それでしっかりと。

 それからいただいてあった化石が、宝物に変わった。
 恐竜の骨の化石、恐竜の卵の殻の化石を手にし、双眼実体顕微鏡でのぞくと、そこには思いもよらない宇宙が顕在してくるのである。

「日本には恐竜はいなかったらしい」
 当時はそう伝えられていた。
 しかし、ここで「もし」にプラス「かして」を足して見ると、人はあるはずがないものを発見する可能性を持っていることを最近の古生物学では教えてくれる。
 日本の地層からも恐竜の化石が発見されるのだ。

 今朝、朝日新聞と一緒に配達された『暮らしの風』2008・6月号の特集は「日本にすんでいた恐竜たち」だった。
 北陸一体にまたがる恐竜時代「手取層群」から、多くの化石が見つかっている、という書き出しだった。

 ここでいいたいことは‘先入観’をすてて、科学することの大切さだ。
 科学に限らず、何事も新鮮な目で見る感覚を失ってはいけないということ。
 この冊子を見ながら、最初に手にしたつぶれて黒い三葉虫の化石を、汚いものでも見るような曇った目で見ていた自分を振り返ってしまった。

「もし+かして○○かもしれない」、通説を常識をひっくり返して、○○の可能性を信じて、新しい価値を発掘するエネルギーを持ち続けていたい。

 野口三千三に導かれた「石の世界」は、時間感覚を豊かなものにしてくれたことは確かだ。
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風邪症候群のよき置き土産

2008年05月12日 09時04分57秒 | Weblog
 風邪症候群で4月21日に声を失ってから、2週間が過ぎたころ、授業再開の準備で、発声練習をはじめた。
 はじめた当初は、いわゆる真ん中のドから上がほとんど声にならなかった。
 一オクターブ上のドからは裏声で少しだけ声になっていた。

 そこでピアノ練習の合間に発声練習と「千の風になって」の歌を組み込んで、1時間半弱、音楽の時間を持った。
 毎日というわけにはいかないが、先週からはじめて昨日は、真ん中のドから上が声として響いていているのを確認した。
「もし、このまま声が出なかったらどうしよう」
 実は、内心、心配しなかったわけではないが、一応のところ一オクターブ下げて「千の風になって」を歌うことができていたので、回復するだろうという希望の方が強かった。

 なぜ、この曲を選んだのかというと、たまたま楽譜があったということもあるが(誰かからもらっていた)、音域がメゾソプラノの範囲であったことが第一の理由だった。
 たとえば桑田の「TUNAMI」などは、キーが高くて今回のような咽喉の状況にはむかない。
 クラシックの歌曲も、音域が広いので無理なのだ。

 その点「千の風になって」は、歌手の秋川さんも声を潰したあとに歌っている曲だけに、歌手の咽喉に負担がかからない曲だと感じていた。

 先週、木曜日の授業では、今一の感はあったが、かなり声は戻っていた。
 そして2コマ目の授業では、更に声が出るようになっていた。
 土曜日の朝日カルチャーでも、ほとんど以前の声に近づいてくれたと思う。

 で、昨日は、もっと声が出ているのに驚いた。
‘突発性難聴’を患った後、歌うと悪いほうの右耳の奥に不快感があって、ずっと発声練習や歌うことを避けてきた。自分の声の大きさが体内伝導というか骨伝導というか、つまりからだに響きすぎて困っていたのだ。

 ピアノを弾くときは、耳栓をして音を少し遮断していたが、歌うという行為は耳栓では効き目がなかった。
 最近のことだが、そのピアノを弾くときに耳栓をはずしたまま練習するようになっていた。
 同様に今回の声を回復すべく行った歌の練習でも、不快感がなくなっていた。

 いやはや人間のからだはプレ還暦になっても、よい方向へ変化してくれるのだとほとんど感激状態にある。

 とはいえ元通りにならなくても、もうすこしいい声になってくれると信じて、歌の練習を再開しようと思う。
 からだの機能は、丁寧に使い続けることがなによりであることを今度の‘風邪症候群’は教えてくれた。
 身をもって知る自然の滋味でもある。
 風邪症候群のよき置き土産は、生命力の底力を知らしめてくれた。
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赤い花

2008年05月11日 14時43分55秒 | Weblog
 昨日、‘赤い花’をいただいた。
 静養中に、元気なってレッスンが再開された日に、渡してくださる旨がメールで知らされていた。
 てっきり赤い花だと思っていた。
 ところはそれは生花にあらず。しかし‘花’だった。
 その花は『社会学入門ー人間と社会の未来』見田宗介著 岩波新書1009である。
 岩波新書の表紙は赤い! のだ。
 みると付箋がつけられていた。
 ページをめくる。
 一茶の句が記されていた。

   手向くるうやむしりたがりし赤い花

 この章は、柳田國男を中心に「色彩にも近代の解放があった」という書き出しで、色と花から社会を解き明かしていくものだった。
 ここで私は、一茶のこの句を表面的に受け取ってはいけないことを知った。
 なんでも江戸時代までは幼い子どもでも花をむしりとることは禁じられていたという。
 一茶は「あんなにむしりたかっていた花だよ」と、最愛の娘に話しかけているとこの句は読むそうだ。
 つまり、死んであの世の存在になったとき花は手向けてもらえるものだった。

 日本文化の古層の感覚に「うつし世」と「かくり世」という感じ方の世界観がある。鮮烈な花の色は、「かくり世」のに潜在するもので、聖なるものであって現世のものではないと捉えると、死してはじめて手向けられる意味の深さが測れるものなのだ。

 見田社会学は、なかなかに魅力的だ、とはじめて思った。
 せっかくのいただき物「赤い花」を最初から読ませていただこう。
 もしかすると、今の私には、タイムリーな‘赤い花’なのかもしれないという予感がしている。
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‘黄金の茶室’と‘侘びの茶室’

2008年05月10日 09時31分36秒 | Weblog
 今朝、新聞を開くと「カラヤン生誕百年」という文字が目に飛び込んできた。
 何でも、カラヤン人気は未だ衰えず、クラシック音楽界に君臨しているかのような印象の記事だった。
 思えば四十数年前だろうか、私もミーハー振りを発揮して、演奏会の切符を求めて発売初日には、はやばやと並んだ記憶がある。
 とくにワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲を指揮する彼の横顔は目を閉じなくても眼前に浮かび、耳の奥では「樂劇」全体を暗示するクロマティック音階が聞こえてくる。
 
 1960年代、当時、私は音大の附属高校生だった。
 音楽・美術・演劇・文芸・思想……、毎日、とっぷりと浸かった日々が懐かしい。
 学校は国立にあった。駅から一直線。桜と公孫樹が並木道を造っているところ、一ツ橋大学を通り越して、一キロメーター余、朝夕に通う道々にはいつも音楽が鳴っていた。
 音楽が鳴るといっても‘ipod’があるわけではない。
 レコードで聞いたり、演奏会場で聞いたり、自分自身で楽譜から音を起こしてピアノで弾いたりして覚えた曲を、脳のコンサートホールで再現する作業なのだ。

 ところで、この記事にもう一人名前が挙がっていた。
 グレン・グールドである。
 グールドはカラヤンとはまったく真逆の演奏家である。
 しかし、未だに人気は衰えないらしい。
 カラヤンの音楽を聞く行為は‘黄金の茶室’に身を置くことであり‘醍醐の花見’を楽しむことだとすれば、グールドは‘侘びの茶室’で一服の茶をいただく行為であり凛と一本立っている‘山桜の花見’を味わうのである。
 しかし、共通点がある。それは映像(録音)音楽芸術として後の世に残されているという点だ。
 二人とも21世紀が音楽を持ち歩く時代だと予見していたのだろうか。
 映像に載せて音楽を楽しむことが出来るDVDなるものが出てくることを予想していたに違いないと思えるような音楽活動を行ったという点だ。

 そんなこんなでひとつの記事から、十代に引き戻され、音楽に思いを馳せた。
 今、耳には音楽が鳴っている。
 今、目には姿が映っている。
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No Rain, No Rainbows.(ポストカード・タイトル)

2008年05月09日 12時07分54秒 | Weblog
 今日は2通の手書きのラブレターを受け取った。
 一通は、女性から。
「片岡鶴太郎12枚の絵」になるポストカードが同封されていた。
 手紙には、新刊本への愛情あふれるエールが記されていた。

 そしてもう一通は、男性から。
 しっかり私のブログを読んでくださっている方だということが解った。

 はじめに本のこと……
「……読者が意識的に参加できるような読み易さをねらって……きっと、二十年後、三十年後を見据えて種を蒔いているのだろうな……」
 今度の本のひとつの意図をズバリ言い当ててくださった。

 長い手紙の最後にこんなことが記されていた。
 一年のうち二ヶ月ほど出張していていた頃、彼は、毎晩、時代小説を読むことを日課にしていたとか。
 五味康祐、柴田錬三郎、池波正太郎、藤沢周平等の二百冊余の文庫本を読み終えて、作者が創造した架空の登場人物の生年月日を本から類推して音楽家と照らし合わせたらしい。
 その一例として、一八一〇年生まれのショパンやシューマンと柴田錬三郎作の宣教師の父と旗本の娘との間に生まれた眠狂四郎とがほぼ同い年だった、と。

 他にも「相棒」の音楽のこと等々、しっかり私のブログに呼応して応援歌を奏でてくださっている内容だった。
 今回の延々と続いた‘風邪症候群’へのお見舞い、そしてちょっぴり捻りがきいた元気付けをいただいた。
 
 つまり、男女を問わず‘ラブレター’をいただくということは、いくつになっても胸が高鳴るものである。
 
 雨が降らなければ、虹は現れない。
‘虹の彼方’に、野口体操の希望のブリッジを懸けよう!
 No Rain, No Rainbows. ポストカードのタイトルより
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花梨の実

2008年05月08日 08時21分14秒 | Weblog
 
 新しい本が書店に並んで約一ヵ月が過ぎた。
 いつものことだが、ひとつ書き上げると、次なるテーマが見えてくる。
 そこからまた一歩ずつ歩き出すのだが、今回は、歩き出す前にちょっと風邪をこじらせてしまった。

 連休後半には、ひたすら体調を戻している途中、残っていたウイルスが腸に入って2日苦しんだのだが、その後は復調して自分でできる片付けごとが完了した。
 やり残したことはあるが、まぁまぁの線まで達し、あとはプロの人に頼まないと自分では出来ないことのようだ、と諦めた。
 快適空間を維持するということは、なかなか労力を要する。

 さて、ブログを休みにしている間、メールもブログも開かずに過ごした。
 あぁ~、もの凄い量の[MEIWAKU]メールを、今朝は片っ端から潰していった。
 必要なメールは着信した量の僅かなのだ!(トホホホ。。。。。。)
 潰し作業は、まだ、終わらない。まっ、ゆっくりやるまでのこと。
 仕方がない。私の暮らしから、インターネットなしは無理だ、ということだけは確認したわけ。

 しかし、いいこともある。
 連休前からあれこれと気がかりだったことや、案じられていた人のこと等、
‘風邪と共に去りぬ’である。
 ここ数日、すっきりした気分で、水遣りをしていると、花梨の枝に二個の実が膨らみはじめているのに気づく。ほんのり紅く命を宿しているではないか。台風でやられなければ秋には立派な実に成長してくれるのだが。こればかりは風任せである。
 
 本日は晴天なり。
 さぁ、授業に出かけるぞ!

 
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休刊のお知らせ

2008年05月04日 17時49分32秒 | Weblog
本日から7日(水)まで、お休みします。
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なんでシューベルトだけなの?

2008年05月03日 18時54分03秒 | Weblog
 昨日、緊急の打ち合わせで、東京駅に近い‘丸善’に出かけた。
 丸善一階の入り口近くで、ビクターのオーディオを販売していた。
 残り6台ということで、中年男性が傍に立って、説明をしている。
 耳を澄ます必要もないくらいな音量で鳴っている音は、昔のステレオブームを彷彿とさせる。
 見回すとさすがに中高年の男性が足を止めている。
 スピーカー部分には、落着いた色合いの木が使われていて、大きいものではないないが、重厚な雰囲気が漂っている。見た目の重厚さだけではなく、鳴っている低音部も重厚な響きだった。

 ふと、横に置かれたテーブルの上を見ると、本もCDもすべてシューベルトなのである。一冊だけ‘クラシック入門’みたいな本が混ざっていた。
 それから何気なく振り後ろを振り向くと、かなり離れてはいるが、カワイのグランドピアノが置かれていて、椅子席が用意され、そこにもシューベルトの写真が飾られていた。
 きっとミニコンサートでも開かれるに違いない。

 茂木健一郎さんが‘シューベルト’について書かれたから、ちょっとしたブームになっているらしい。
 この作曲家の曲は、ウィーンのサロン音楽として育てられたこともあって、確かに親しみやすい。
 個人的な好みだが、シューベルトのピアノ曲よりも歌曲が好きだ。
 
 そうそう、先週から今週にかけて、休養を取る間に、テレビ朝日の「相棒」の再放送をときどき見ていた。
 そのなかでフィッシャー・ディスカウが歌う「冬の旅」が、BGMとして流れていた。 
 いやいや、この「相棒」の音楽は、いつもかなり凝っている。
 で、その回は北海道の冬が舞台だった。そこで、効果的にシューベルトが使われていたのだ。そうなると筋はどうでもよくなってBGMばかりを聞いてしまう。

 さて、こんな夜の過ごし方だってあるんですよね。
 シューベルト・シューマン・ブラームスの歌曲を聞きながら、美酒に酔う。(私はチョコレートでもいただこうかな)
 で、一昨日の新聞広告に‘バカラ’特性の瓶にブレンドされたコニャックの逸品が出ていた。瓶は光の当たり具合で色が変わるとあった。
 暖炉があり、どっしりとした家具があり、書棚には皮表紙の分厚い本が並んでいて、装飾が施されているベーゼンドルファーのグランドピアノがあって、夫婦でも恋人同士でも、友人同士でもメンバーは気が合いさえすれば誰でもいい。ピアノの伴奏でリートを、ヴァイオリンやチェロや、その他の楽器を演奏する。
 音楽を奏でてすごす贅沢な味は、正にこの世の最高の極みに違いない。
 
 で、先ほどのコニャックだが、記事に吸い込まれるように読み進んで最後にお値段が記されていた。な、なんと、400万円だという。
 せっかく差し上げてもいいかとおもう男性の顔を浮かべながら読んでいたのだが、顔は広告記事のなかにビヨ~ンと溶けて消えてしまった。

 話がずいぶん遠くに来てしまった。
 収拾がつかない。
 今日は、このまま空中分解であります。
 言いたかったことは、シューベルト以外にも、こころが和み落着き最高な幸せ感に浸れる曲は他にもありますよ! ってことでした。
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今までとは違う風向き

2008年05月02日 09時32分07秒 | Weblog
 野口先生は藝大で、いくつものコマを持っていらした。
「かならず、一クラスに一人か二人の気が合いそうな学生を見つけて、その学生に話しかけるんです」
 その言葉の意味はよくわかる。

 今年はあるクラスに女学生が二人、男子学生が一人と、目の輝きが違う学生が三人も揃っているクラスがある。そのほかのクラスも、今までにない興味を示す表情が見られる。
 4月の第一回は、ガイダンス的に『マッサージから始める野口体操』の第一章の抜粋と「はじめに」を読んで、説明を加えていった。
 その時に身を伸し出して聞くだけでなく、興味の扉が一瞬にして開かれた学生たちだった。
 
 その学生は、‘寝にょろ’等々の話し掛けをみていると、はじめから本質を捉えているような動きをしている。
 これまでの授業には、見られなかった目の輝きであり、表情であり、動きなのだ。

 実は、『マッサージから始める野口体操』は、現代を生きる学生に授業をするとき、テキストとして最良のものだ、と確信にちかいものを感じはじめている。

 どのクラスもシラバスを読んでやってくるわけで、「ただからだが動かせればいい、ゲーム感覚でスポーツを楽しめればいい、からだを鍛えられればいい」という発想の学生は少ない。

 そうした学生を見ていると、社会の地殻変動は若者のなかにも起こっているのではないかと思わずにはいられないのだ。
 
 7年前に大学の場を得て、今年はその変化がはっきりと出てきたように思う。
 今年の新学期は、どのクラスにも今までとは違う‘風’を身に纏った学生がいるように思う。そうした学生が、クラスの雰囲気をよい方向に向けてくれるのだ。
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コラボレーションが潜める測り知れない可能性

2008年05月01日 08時35分23秒 | Weblog
 この写真は、野口体操の‘寝にょろ’等々が、柔らかなマッサージとして『日経ヘルス』2006年3月号で紹介された最初のページである。
 私はといえばすっかりヘアメイクしてもらって、スタジオで撮影してもらった。。

 この記事がきっかけで、同じ年の3月30日に、テレビ東京「朝は楽しく!」という情報生番組に出演することになった。
 このときのスペシャルゲストはアニマル浜口さん。
 4月4日に発売になった『マッサージから始める野口体操』の第二章「揺れる巨体」に、抜粋して書いておいた。

 実は、この記事と番組出演の記録に、声が今ひとつの授業で大いに助けられたことを報告したい。
 とにかく声を失ってから少しずつ回復したものの、1時間半の授業を2コマ行うには、まだムリがあった。
 火曜日の授業は、新刊本をテキストに指定してあったので、拙著とDVDと日経ヘルスの記事のコピーを揃えて、授業に臨んだ。

 学生たちはアニマル浜口さんと聞いて、驚いた声をあげる。しかし、DVDを見てもらうと浜口さんの変化がしっかり伝わるらしい。
 真剣に身を乗り出して、内容を吸収しようとする様子が、後ろから見ている私にも十分伝わってきた。

 それから資料のコピーを参考にしながら、二人組になって‘寝にょろ’‘腕にょろ’等々、実践してもらった。
 学生のやり方が実に上手い。
 
 授業だけでは伝えきれないノンヴァーバルコミュニケーションの部分がそれらの資料によって補完されたようだった。

 丁度、北京オリンピックに浜口京子さんが出場することも相まって、アニマル浜口さんへの興味もいろいろな意味で大きいのだと思う。そのアニマルさんがたった30分くらいのやり取りの中で変わっていく。今まで公の場で見せたことがない‘素のままの表情’を捉えている番組には、かなりのインパクトがあるということが感じられた。

 第一回目の授業では、第一章「消費される健康」をテーマにしていただけに、野口体操の持つ多面性が伝わるようだった。
 そして情報化の時代に、テレビ情報番組の裏側について話す内容にも、学生は興味を示している。

 その意味では、新刊本の内容も‘現代’を扱っているが、テレビ放送の現場の話や日経ヘルスが丁寧な仕事をしていること等、これから社会に出て行く学生には、興味の焦点がしっかりと合っていることを実感した。

『マッサージから始める野口体操』の「あとがき」に記した野口三千三の遺言「一人じゃ無理だ」という言葉は、裏を返せば多くの人々が‘野口体操の価値’を伝えようと思い、思っただけでなく行動してくれる人が存在することの意味を表しているのだと思う。

 コラボレーションというのが流行っているが、本質的によいものとのコラボレーションは、1+1=2というような単純計算ではない測り知れない可能性を潜めているようだ。

 なにより当事者として、その本人が、そのことについてしっかり語ることが出来るということが、前提条件として大切なのだが。
 
 それが生きている! ということなのだ。
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