羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

‘虫の知らせ’

2008年05月30日 09時07分54秒 | Weblog
 養老先生と石川さんの‘虫対談’によると、お二人とも自宅の庭に梅の木がおありなようで、養老庭は1月末に開花しハナアブがいたのが、今では何もないそうだ。一方、石川庭に梅は早咲きで、今年は1月5日に開花したとか。こちらも虫を一匹も見ないそうだ。さらに石川庭というか畑というか、そこではジガバチの姿を40年間見ていないらしい。
 昨日のブログ題名は、「中野は田舎だったといえば、それまでですけど、減り方が極端すぎます」と石川庭の様子を語っておられるところからいただいた。

 そこで思い出されるのは、野口三千三先生がお住まいだった西巣鴨の小さな庭には、毎年のこと蛙がやってきていた。
 ごく近いところにはオタマジャクシが生息できるようなことろはないそうだ。それでもやってきていた。庭に置かれた焼き物の蛙の傍に生きた蛙がいる風情は、それなりにオツなものだった。
 亡くなる数年前くらいまでのことだから1990年代初めまでだろう。
 それは都会の名残の蛙だったのか。今にして思うとジーンとくるものがある。

 この‘虫から見える世界’の対談には、「全世界の食料援助の三倍を日本人は食べ残している」とか「二酸化炭素が問題なら石油の販売量を落とすべきだ」とかこの島で維持できる人口は六、七〇〇〇万人がいいとこだ」とか、かなり過激な小見出しがついている。
 
 そして最後には、1901年にテキサスから急に石油が出て、1903年にフォード社が大衆車構想を打ち出し、自動車のエンジンを積んでライト兄弟が飛んだのも同じ年。
 つまり、20世紀はアメリカの世紀だと共に、石油の世紀だった。日本の戦争も石油がないからということで起こった。20世紀は石油に振り回された世紀だ、と、養老先生の言葉で締めくくられている。

 さて、先日、ガソリンの値段は170円という報道がなされているが、インタビューに答えている女性が「200円になりますよね!」と語っていたのが印象的だった。

 20世紀の石油文明終焉を‘虫の知らせ’で語りあった対談である。
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする