羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

赤い花

2008年05月11日 14時43分55秒 | Weblog
 昨日、‘赤い花’をいただいた。
 静養中に、元気なってレッスンが再開された日に、渡してくださる旨がメールで知らされていた。
 てっきり赤い花だと思っていた。
 ところはそれは生花にあらず。しかし‘花’だった。
 その花は『社会学入門ー人間と社会の未来』見田宗介著 岩波新書1009である。
 岩波新書の表紙は赤い! のだ。
 みると付箋がつけられていた。
 ページをめくる。
 一茶の句が記されていた。

   手向くるうやむしりたがりし赤い花

 この章は、柳田國男を中心に「色彩にも近代の解放があった」という書き出しで、色と花から社会を解き明かしていくものだった。
 ここで私は、一茶のこの句を表面的に受け取ってはいけないことを知った。
 なんでも江戸時代までは幼い子どもでも花をむしりとることは禁じられていたという。
 一茶は「あんなにむしりたかっていた花だよ」と、最愛の娘に話しかけているとこの句は読むそうだ。
 つまり、死んであの世の存在になったとき花は手向けてもらえるものだった。

 日本文化の古層の感覚に「うつし世」と「かくり世」という感じ方の世界観がある。鮮烈な花の色は、「かくり世」のに潜在するもので、聖なるものであって現世のものではないと捉えると、死してはじめて手向けられる意味の深さが測れるものなのだ。

 見田社会学は、なかなかに魅力的だ、とはじめて思った。
 せっかくのいただき物「赤い花」を最初から読ませていただこう。
 もしかすると、今の私には、タイムリーな‘赤い花’なのかもしれないという予感がしている。
コメント
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