羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

日本にも恐竜はいた!

2008年05月13日 07時05分18秒 | Weblog
「もし」という問いかけほど、意味がないことはない、かもしれない。
 でも、人は時にその言葉を発してしまうことがある。

 もし、私が、この家に生まれていなかったら?
 もし、私が、○○をしていなかったら?

 今日は、もし、私が野口体操に出会わなかったら、一生、化石とは無縁の暮らしをしていた違いない、というお話。

 今を去ること三十数年前、野口三千三先生に一個の化石をいただいた。
 潰されたような形の黒い石だった。
「三葉虫の化石よ。古生代だから三億五千万年前にこの星に生きていたの。海の中だけどね」
 そういわれてもちっともありがたくも何でもなかった。

 それから私の手元には、化石が増えていった。
 アンモナイト・ウミユリ・鮫の歯等々、いつの間にか小さな箱に一杯になった。
 
 ある日、本を下さった。それは絶滅から見た生物の進化の物語だった。
 目覚めましたね! それでしっかりと。

 それからいただいてあった化石が、宝物に変わった。
 恐竜の骨の化石、恐竜の卵の殻の化石を手にし、双眼実体顕微鏡でのぞくと、そこには思いもよらない宇宙が顕在してくるのである。

「日本には恐竜はいなかったらしい」
 当時はそう伝えられていた。
 しかし、ここで「もし」にプラス「かして」を足して見ると、人はあるはずがないものを発見する可能性を持っていることを最近の古生物学では教えてくれる。
 日本の地層からも恐竜の化石が発見されるのだ。

 今朝、朝日新聞と一緒に配達された『暮らしの風』2008・6月号の特集は「日本にすんでいた恐竜たち」だった。
 北陸一体にまたがる恐竜時代「手取層群」から、多くの化石が見つかっている、という書き出しだった。

 ここでいいたいことは‘先入観’をすてて、科学することの大切さだ。
 科学に限らず、何事も新鮮な目で見る感覚を失ってはいけないということ。
 この冊子を見ながら、最初に手にしたつぶれて黒い三葉虫の化石を、汚いものでも見るような曇った目で見ていた自分を振り返ってしまった。

「もし+かして○○かもしれない」、通説を常識をひっくり返して、○○の可能性を信じて、新しい価値を発掘するエネルギーを持ち続けていたい。

 野口三千三に導かれた「石の世界」は、時間感覚を豊かなものにしてくれたことは確かだ。
コメント (2)
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