今日は嬉しいことがあった。
それは野口先生の時代から続けておられた中年男性が、「やすらぎの動き」(開脚長座による前屈?)で、肘が床についたことだった。
形ではないないといい続けながらも、この変化は嬉しい。
本人にとっても継続への意欲は、こうした変化からうまれるもの。
理屈でなく励みになる。
そんな時拍手よりも「おぉ~」というような声にならない声に教室内が包まれるのだ。
人は変わる。ひとところにじっとしてはいない。
少しでもいい方向に変化したら、皆で喜ぼうではないか。
Nさん、おめでとう!
それは野口先生の時代から続けておられた中年男性が、「やすらぎの動き」(開脚長座による前屈?)で、肘が床についたことだった。
形ではないないといい続けながらも、この変化は嬉しい。
本人にとっても継続への意欲は、こうした変化からうまれるもの。
理屈でなく励みになる。
そんな時拍手よりも「おぉ~」というような声にならない声に教室内が包まれるのだ。
人は変わる。ひとところにじっとしてはいない。
少しでもいい方向に変化したら、皆で喜ぼうではないか。
Nさん、おめでとう!