羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

一寸の価値

2006年01月25日 12時57分01秒 | Weblog
「一寸先は闇」。 
 確かに、前途はまったく予知できないのが、人が生きる現実だ。
「一寸とは、やく3.03センチ」
 などと具体的に数値をあげると、なんとも味気ない感じは否めないのだが。
 
 ところで、野口三千三先生は「おへそのまたたきの原理」を野口体操の基本に据えた。
「またたき」をするのに、歌舞伎のクライマックスでいかにも格好よく大見得を切る、というような派手派手しい表情や動作をする人はいない。ほんのちょっと、目にも留まらぬ速さで、パチパチッとやってしまうのが「またたき(まばたき)」というもの。
「おへそのまたたき」とは、お臍が瞬きをするくらい、短い時間・低い度合い・働く量は少ない筋肉の収縮緊張の在り方を言った言葉で、野口体操の代表的な動き、つまり、腹筋運動に近い運動のことだ。
 もっと言えば「おへそのまたたき」とは、僅かな時間・僅かな量の大切さとその実体を表現した「一寸の価値」ある世界観だといいたい。

 それにしても100%から99・9%を引いた残りに、人の命運はかかっているのだなぁ、と思わずにはいられない昨今の出来事の数々である。
 
 20代・30代のころの自分を振り返ってみると、まさか、今のような仕事をするようになるとは、まったく予想だにしなかった。
 人生は、何時・誰と出会い、その縁をどのように育んでいくのかによって、分かれ道に立ったときの判断が、左右されるものなのだという気がしてならない。
 その判断は、ほとんどの場合、「おへそのまたたき」ほどの短い時間に、直感的になされることが多い。そして一度ある道を歩き始めると、立ち止まることも、引き返すことも進路変更することもなかなか勇気がいるらしい。

 あの戦争に突入したのも、瞬間・瞬間の「もし、あのときに…」を何回も無視して、抜き差しならなくなってしまったからに相違ない。
 ほんのわずかな違い、ほんのわずかな違和感、ほんのわずかな気がかりをそのままにしておかない生き方をするのはとても難しい。

 世の中を見回して、「おへそのまたたき」という愛らしい名前が内側にもっている意味合いは、その人の人生を左右するような大事な「からだの感覚」に違いないと改めて確信している。
 
 そういえば日本の文化はもともと「一寸の価値」を認める肌理細やかな文化だったような気がするのだが……。
コメント
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