羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

荒ぶる神のごとき調べ

2006年01月31日 14時22分01秒 | Weblog
 それは雨の日だった。
 梅雨前線の雨だったか、秋雨前線の雨だったか、はっきりしない。
 しかし、その日は雨だった。

 雲は低く垂れ込め、降りしきる雨に、グランドは水溜りがそこにもあそこにも、いたるところにできていた。
 教室の窓から、外を見ていた。気温は、それほど低くはなかった。
 ショパンの英雄ポロネーズが聞こえていた。

 小さなピアノだが、各教室に一台ずつ置かれ、黒板は五線譜だった。
音大附属の中学と高校が、二棟に分かれて建てられていた。全体はコの字型に建物 はたっている。コの字の縦線の部分に、一階の小部屋がレッスン室でピアノが一台すつ置かれ、そこで個人レッスンを受けるのだった。二階講堂にはベーゼンドルファーのセミコンサートグランドピアノがあって、その両脇に大きなスピーカーが用意されていた。

 英雄ポロネーズは、一つおいた隣の教室で、誰が弾いているのかもわかる演奏だった。
 ほとんどの生徒が帰宅したあと、居残って弾く人は、いつも決まっていたからだ。

 そのとき、レッスンが長引いて、教室に戻ってこない友人を待っていた。
 これといって何もすることがなかった私は、何気なく校庭を見やっていた。
 当時、私は国立音大の附属に通う中学生だった。

 ひとりの男子学生が、雨の中を傘もささずに駆けていた。
 ランニングのような駆け方ではなかった。
 ジグザグに駆けていた。しばらく駆け続けているうちに声を張り上げている。
 思わず窓を開けてその声に耳を傾ける。
「ウォー、アァー、ウォー」
 意味不明な声だった。

 そのうちに水溜りがあることも関係なく、地面にバタンと倒れ、大の字になって横になっていた。からだに雨が降りしきる。ぬぐおうともせず、しばらくの間横になっていた。
 映画の一シーンでもみるように、私は心を奪われていた。
「十代後半の男子には、どうにもならないデーモンが住んでいるのだろうか」
 ちょっと生意気盛り、文学少女だった私は、じっと、その姿を見続けていた。
 
 その人の名前を知るのは、それからしばらくしてからのことだった。
そしてその学生は、新宿のピット・インでピアノを弾いているということを風の便りで耳にした。
 それからジャズピアニストとして本格的に活動をはじめ何年もたたないうちに、彼の名は有名になっていった。
 
『聴く人の魂を揺さぶるピアニストだった。聴衆だけではない。ベース奏者・米木康志さんは「隣で聴いていて、泣いちゃうこともあるもん、おれ。大地のそこから宇宙に行くような音です」と話す』と朝日新聞にあった。
「荒ぶる神のごとき調べ」
 その記事には、そうした見出しが書かれている。
 享年60歳。今年、1月12日、心不全で生涯を閉じられた。
 その人の名は、ジャズピアニスト・本田竹広。

 大地に身を投げ出したままの姿が、目の奥に焼きついている。

 その記事を目の前に、今、ご冥福を祈っている。
コメント
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