羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

一色に心の色を染めあげるということ

2006年01月22日 14時01分45秒 | Weblog
 「野口三千三を読む」という講座をはじめた。
 昨年、10月から、月一回のペースで、3回が終わったところだ。
 テキストは『原初生命体としての人間』。
 なんと、「原初生命体以前」と題して3回続けた。
 昭和20年(1945年)から、出版された昭和47年(1972年)までの、年表をもとに、話を進めていった。正直言って、戸惑いの連続だった。

 その戸惑いの一つの理由は、参加者が20代から60代半ばまでの方だったこと。
 そこで「歴史を共有することの難しさ」という問題を、第一回目に戴いた。
 一つ例をあげれば、私にとっての戦争は「第二次世界大戦」だ。
 これを「太平洋戦争」という方、「大東亜戦争」という方。そこで戦後生まれかそうでないのかが別れる。
 さらに、若い方々にとっての戦争は「湾岸戦争」なのである。
 余談だが、今年から平成うまれの人が、大学に入学してくる。その人たちにとっては、湾岸戦争も昔の話になっている。
 すると「第二次世界大戦」は、私が思う「日清戦争」「日露戦争」くらいの感覚になるに違いない。

 昭和は遠くなりにけり。それも戦前の昭和ではなく、前後の昭和が60年・還暦なのだから、しかたがないといえばそういえなくもない。

 話を戻すと、『原初生命体としての人間』以前を共有するには、昭和30年代半ばから40年代にかけての時代を話さなければならなかった。
 不器用な私には、そこを飛ばして、若い人にも分かりやすいところをかいつまんで話すことができなかったことが、戸惑いの一つの大きな源泉だったように思う。
 さらに、この昭和30年代から40年代については、戦前を知らなければならないという、深みにはまってしまうのだから。
 いずれにしても時間・空間を共有する・歴史を共有するという意味を深く実感させられたことだけは確かだった。

 野口体操が単に身体を動かす方法だけを求めるものならば、歴史認識はいらないだろう。しかし、これほどの「言葉」をもって伝えてこられた野口体操をすこしでも理解しようとするならば、野口三千三が生きた時代を知るということは、不可欠のことではないかと、私は思っている。野口先生自身の下意識・無意識・非意識の層に畳み込まれた「その時代」を知ることが、野口体操がこうした体操になっていく過程を知ることになると思うのだが。

 10月の第一回目は15点だ、と自分で採点した。講義としては落第点である。しかし、それしかできなかった。2回目以降も、迷いながら話をしている。なかなか及第点までたどり着けない。それでも1月期に継続して申し込んでくださったかたがいらっしゃることを知って、今、続けられるように、自分の気持ちを整理している。

 そして、野口体操を始めた当初・26歳ころの自分を思い出している。
 とにかく不器用だ。ごまかしがきかない。よくはわからないが、もつれて固まっている糸を少しずつほぐしながら、ほぐしては全体を振り返り、ほぐれたところからすこしだけ見える糸の先を追いながら、遅々としてすすまなくても、ほぐし続けるという在り方なのだけれど。

 一つだけ見えてきたことをあげれば、野口先生にとって、皆が揃って一色に心の色を染めあげることへの警戒心を、ご自身の戦争体験が明確な「NO」をからだに突きつけたこと。それが野口体操の隅々にまで浸透しているということだ。
 個人においても、一途になることは悪いことではないけれど、一途になることの危険性も忘れてはいけない。

 1月期は、その視点から入ってみようかと今日は思っているのだが。
コメント
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