前にもふれたことがある。
逆立ちができないと、なんとなくつまらない。
それはなぜだろう。
逆さまになる過程も、なってからも、そのなり方の「質」は問わないとして、とりあえず逆さまになれると嬉しさがこみ上げる。
「日常でありながら、日常でない。その感覚がいいだよね」
ある人が言った。
「ごまかしがきかないじゃない。それもいいだよね」
また、ある人が言った。
「なんとなく、できる・できないがはっきりしてるじゃない。逆立ちって」
またまた、ある人が言った。
「ここだけの話だけれど、野口先生って、もう少しで逆立ちできそうに感じると、手伝ってくれて、タイミングよく引き上げてくれたよね」
「そうそう、最初のうちは怖さから、足腰が固くなって、どうしようもなかったのに、とにかく逆立ちってこんな感じだよって、味わわせてくださったわね」
最後の言葉は、何を隠そう、私の言葉。
野口教室に通い始めのころ、必ず最後にやっていた逆立ちのときの憂鬱さは、今でも覚えている。
一生、逆立ちは無理だと思えてしまう。
かなり強引に逆立ちしている人がいても、違いが見えなくて羨ましいばかり。
「これまで一度だって、やったことがないから、あきらめようかな」
そう思いつつも、
「でも……」
しばらくいろいろな人が逆立ちする姿を、羨ましげに見ているうちに、違いが次第に見えてくるようになる。
するとまた、理屈をつけたくなる。
「野口先生のいっておられる逆立ちができてる人は少ないじゃない」
自分を納得させようとするわけ。
「逆立ちができたらと言って、人格者として多大なる尊敬を受けるわけではないし」
さらに、自分を納得させようとする。
「何をもってできると言い、何をもってできないというのか」
最後は、ハムレット的に悩みだす。
「とりあえず、落ちても怪我をしないように、やわらかくほぐしてみよう」
それから私の花嫁修業ならぬ、逆立ち修業(?)が始まった。
逆立ちができないと、なんとなくつまらない。
それはなぜだろう。
逆さまになる過程も、なってからも、そのなり方の「質」は問わないとして、とりあえず逆さまになれると嬉しさがこみ上げる。
「日常でありながら、日常でない。その感覚がいいだよね」
ある人が言った。
「ごまかしがきかないじゃない。それもいいだよね」
また、ある人が言った。
「なんとなく、できる・できないがはっきりしてるじゃない。逆立ちって」
またまた、ある人が言った。
「ここだけの話だけれど、野口先生って、もう少しで逆立ちできそうに感じると、手伝ってくれて、タイミングよく引き上げてくれたよね」
「そうそう、最初のうちは怖さから、足腰が固くなって、どうしようもなかったのに、とにかく逆立ちってこんな感じだよって、味わわせてくださったわね」
最後の言葉は、何を隠そう、私の言葉。
野口教室に通い始めのころ、必ず最後にやっていた逆立ちのときの憂鬱さは、今でも覚えている。
一生、逆立ちは無理だと思えてしまう。
かなり強引に逆立ちしている人がいても、違いが見えなくて羨ましいばかり。
「これまで一度だって、やったことがないから、あきらめようかな」
そう思いつつも、
「でも……」
しばらくいろいろな人が逆立ちする姿を、羨ましげに見ているうちに、違いが次第に見えてくるようになる。
するとまた、理屈をつけたくなる。
「野口先生のいっておられる逆立ちができてる人は少ないじゃない」
自分を納得させようとするわけ。
「逆立ちができたらと言って、人格者として多大なる尊敬を受けるわけではないし」
さらに、自分を納得させようとする。
「何をもってできると言い、何をもってできないというのか」
最後は、ハムレット的に悩みだす。
「とりあえず、落ちても怪我をしないように、やわらかくほぐしてみよう」
それから私の花嫁修業ならぬ、逆立ち修業(?)が始まった。