萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

讃岐・阿波を走る! 第5話 「善通寺へ」

2008年06月14日 | 自転車の旅


白峰御陵と白峰寺にお参りして、急な階段を降りて自転車をデポしてある場所に戻ると午後1時。この参道の入り口には西行の有名な歌

 願はくは花の下にて春死なん
 その如月の望月の頃

の歌碑が立っている。花(=桜)と月をこよなく愛した西行らしい歌である。西行はこの歌の通り、建久元年(1190年)陰暦2月16日(如月の満月のころ)に亡くなった。このことから、これが西行の辞世の歌と思われがちだが、この歌は比較的若い頃に詠んだもので、辞世ではないらしい。

汗も引いたし、腹も減ってきた。朝飯も食わずに宿を出て、途中、屋島で非常食用のチョコボールを齧っただけで、まだ何も食べていない。昨晩、高松で二軒うどん屋をハシゴしたエネルギーは完全に尽きた。といって、その辺のめし屋でお茶を濁すわけにはいかない。ここは“讃岐”だ。うどんを喰わずにおりゃりょうか。善通寺へ行く途中にある、小生の好物“釜あげうどん”で有名な「長田in香の香」に向かって、いざ出陣!

先ほど登ってきた道を一気に下る。メーターを見ると時速40キロは超えている。公共の舗装道路上を生身の人間を乗せて、これだけの速度を出せて、無免許でいい乗り物は自転車以外に無い。オートバイは重心も低いし、タイヤも太い、ブレーキだって高速対応している。それに比べると自転車はまことに心もとない。この速度でこけたら、一巻の終わりという恐怖がある。もっとも、このスピード感とスリルが快感ではあるが・・・。苦しんだ上り坂もあっという間に駆け下る。

下りきって進路を南西に取り、善通寺方面へ向かう。途中、姿のいい山が目に入る。讃岐平野のシンボル飯野山、通称「讃岐富士」だ。422mと決して高くはないのだが、平野にいきなり聳えているので目立つ。飛鳥の三輪山や畝傍山と同じで、その姿は神々しくさえある。


<讃岐富士と愛車「氷川丸」>

さらに国道11号を行く。午後二時半。やっと釜あげうどん「長田in香の香」に辿り着く。朝からチョコボールだけで走ってきていたので、空腹感は通り越していた。別に食べなくてもいいやって気分で20人ぐらいの列に並んだ。並んでいると、店の中からほんのりと出汁の香りが漂ってくる。どこをどう刺激したのか、急に腹が減ってきた。幸い列の進みは遅くは無いが、15分ほどは並んだろうか(物理的時間はもっと短かったかも)。ようやく小生の順番が来た。多いかなと思ったが「特大釜あげうどん」という奴をたのんだ。

10分ほど待つ(物理的時間はもっと短かったかも)。

やがて、タライの中に熱い湯とともに入った太目のうどんが運ばれてきた。キタキタ。来ましたよ。釜あげだ。大量だ。大きな徳利に入った熱い出汁を自分で器に注ぐ。刻んだ葱とおろし生姜も器に入れ、準備完了。さっそく、タライからうどんをすくって、出汁をつけて食べる。うどんが出汁を引き連れて口の中に入り、旨みを残して、喉を通りすぎて行く。

うまい!出汁の香りがいい。うどんにコシがあって、かつ、もちっとした感触がある。ン~もう一度、うまい!

すっからかんの胃の底に熱いうどんが辿り着いたのを実感しながらも、次々とうどんは喉を通過していく。“特大”をたのんでおいてよかった。特大でもあっと言う間に平らげたのだから。器に残るタライの湯で薄まった出汁がまたうまい。これをぐいっと呑んで、釜あげうどんは終わった。前にも書いたが、炭水化物だけをたらふく食べる満足感と楽しさを久しぶりに味わえた。

店を出たのは午後三時を回っていた。釜あげうどんを楽しんでいる内に陽は傾き始めた。少々焦り気味で善通寺へと向かった。

つづく
コメント
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