みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

良寛さん  その1 《法華讃》

2021-02-26 07:11:15 | 仏教
「良寛さん」と聞いて私の脳裏に浮かぶイメージには3通りある。
その一は、手毬を撞いて子供らと遊ぶ童話に出てくるような好々爺のイメージ。
その二は、優しく柔らかで流麗な和歌を嗜む風流人のイメージ。
そしてその三は、世間と俗信を断罪する厳しい禅僧のイメージ。

この3通りのイメージは、良寛さんにとって何の矛盾もなく、その一があればこそ、その二と三があり、その二があればこそ、その一と三があり、その三があればこそ、その一と二があったのだろう。



本書は2019年5月発行。著者の竹村牧男氏(1948~)は東洋大学学長・全国良寛会顧問。

良寛さん(1758~1831=宝暦8年~天保2年)は越後出雲崎の名主の家に生まれた。18歳で家業を捨て出家している。
22歳のとき、玉島(岡山県倉敷市)の円通寺(曹洞宗)へ入り、39歳で越後へ帰郷している。その後、この「法華讃」を著わした。

「法華讃」と題するからには、法華経を讃嘆する内容かと思いきや・・・ 読み進むにつれて、真逆ではないかと思わせられた。
まるで法華経を足蹴にし、法華経を断罪しているかのようだ。

そもそも禅は、「根本的にあらゆるものからの束縛を嫌う」「執着を嫌悪し、絶対的な自由を尊ぶ」「教外別伝・不立文字の禅には、本来所依の経典はない」(泉田玉堂氏による本書序文)という。

法華経を足蹴にしてこそ、法華経への真の讃嘆になる、のかも知れない。

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