無題

2014-07-10 17:54:12 | Weblog


君は

どんな風に生きればいいか皆目

わからなかった

ので

手近にあった「加速」という

スイッチをチカラまかせに押してその結果

「無鉄砲」という

生き方



選択せざるを得なかった

とか言って

それは

「選択」などでは

なかった

だって他にやり方なんてなかっただろ?





宇宙空間を漂う

小惑星のカケラ



地球の

引力に引かれて

大気圏に突入して

摩擦で

すごい光を放ったみたいに

眩しい光は手に入ったけど

そんなのは

一瞬で

光とともに生じた高温によって

僕達は

その存在すらも

消えてしまった





後に残ったのは・・・・・・・・・・・・・

いや


あとには何も

残らなかった










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無題

2014-07-09 18:51:02 | Weblog




夜を抜け出して

微笑んだブルー

よくある悲喜劇

でも他人事と思ってたら

ちょっとした

しっぺ返しを喰らうかも


ポケットの中には擦り切れたマッチ

どこか外国のコイン

期限切れのパス

曇ったシルバー

使えないものばかり

でもそれだからこそ獲得する優越性


欲しいものは手に入れたさ

それでも物語は続くとしたら?


僕らの行動は

何によって規定されるべきなのか

何かを表明しては撤回して後悔する

誰にも決定されたくない

徹底的に不自由な自由


カンイトイレ

インスタントコーヒー

マスプロダクト

そして

後付けの真実

シャレのないジョーク




世界は僕の嫌いなものばかり







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自戒17選

2014-07-06 16:23:53 | Weblog

傲慢になってはいけない

自意識過剰になってはいけない

小さなことに こだわってはいけない

他人を見下してはいけない

「いけない」ばかり言っていてはいけない

他人の身になって物事を考えなければいけない

「どうせ何やったって(言ったって)変わりゃしないんだ」などと思ってはいけない

行動する前から諦めてはいけない

誰に対しても寛大でなければいけない

厭世的になってはいけない

自暴自棄になってはいけない

いけないことは「いけない」と言わなければいけない

「どうでもいい」と放っておくようなことはいけない

「何ひとつできない」などと絶望してはいけない

自分自身を諦めてはいけない

「誰もわかってくれない」などと思ってはいけない

希望的に生きることを止めてはいけない






それにしても

私ときたら、

自戒することばかりが多い人生だわよ。










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現状に思うこと

2014-07-03 16:55:10 | Weblog



「考え方の違う人間」というのはとても傲慢に見えることがる。

そういう人を簡単に「敵」と決めて、

(精神的に)敵対してしまうことも・・・・・・・・・よくある。


「敵対」の究極は、相手の存在を消すこと(殺すこと)だろう。


俺は

嫌いな人間を「殺したい」って本気で思うほど憎んだことはない

・・・・・・・・・いや、あるか。


まぁ、ほとんど ない。


はは、それでもさ、

(誰かに対して)「死ねよな」などと思ってしまった後で、

”・・・・・・・・・・でもボーリョクを振るったり、

相手の存在を消すことが「解決」では全然ないよな、”

といつも思う。


キレイゴトを言うようだが本当に、いつもそう思うのだ。



嫌な奴を消したいときは、自分の頭の中から消す。

つまり、俺が忘れてしまえばいいのだ。


誰かをねじ伏せたり、やっつけたり することに

パワーなど、使う意味はない。

パワーも、時間も、労力も、カネも、何もかもだ。


俺から見て、下品な奴、傲慢な奴・・・は世の中にいくらでもいる。

そういうのに いちいち、喧嘩売りながら生きるわけには行かない。


自分の考え方、自分だけの「正義」など、

押し通すべきではないのだ。


他人に妥協する、というのは一見、情けないように見えても・・・・

実は大事なことだったりする。

妥協するには、勇気だって要るぜ。




殺しあわずに、妥協しあう道を探すべきだと思う。



妥協しあって、共存するのだ。









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集団的自衛権の行使容認について(遅ればせながら)

2014-07-02 17:53:38 | Weblog

集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。


自分のこと、として考えてみようと思う。


つまり、来月、俺のところに招集令状が来て、

訓練の上、中東のどこかの国に派兵されることになった、と仮定してみるのだ。


(飛躍してると思う?俺は・・・・・・・・・・・・そうでもない、と思うけど。)




アメリカが(9・11みたいに)攻撃されたから日本も国連軍の一員として

兵力を出すことになった。もちろん、武器も弾薬も持って行く。

銃も、爆弾も、本物の「殺人兵器」だ、言うまでもなく。


そして状況によっては発砲の命令が下る。

もしくは、爆弾を民家の上に落とせ、という命令が下るかもしれない。

充分、在り得る話だ。

集団的自衛権、の名目で「殺人」の命令が下る。


我々の世代はもう全然、「若く」などないが、

「働き盛り」とも言える。

この十年、二十年くらいの間に「事」が起こったら・・・・

例えば俺に、招集令状が来ることは、ありえると思う。


そうなったとき

「行く」か、「行かない」か?


戦場に行った、として

殺人を「する」か、「しない」か?


人間に向けて銃を構えて、その引き金を引くか?

それは「いいこと」か、「悪いこと」か?


我々・・・・・・・・・というか少なくとも「俺」は、、

どうあがいたって「社会的弱者」である。


学歴も、地位も、権力もカネもコネも、逃げ場も、ない。


戦場に行って人を殺せ、と命令されるのは我々である。

もしくは・・・・・・・我々の子供世代。




どうするか?というのを

腹をくくって考えておくべきだと思う。







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