「考え方の違う人間」というのはとても傲慢に見えることがる。
そういう人を簡単に「敵」と決めて、
(精神的に)敵対してしまうことも・・・・・・・・・よくある。
「敵対」の究極は、相手の存在を消すこと(殺すこと)だろう。
俺は
嫌いな人間を「殺したい」って本気で思うほど憎んだことはない
・・・・・・・・・いや、あるか。
まぁ、ほとんど ない。
はは、それでもさ、
(誰かに対して)「死ねよな」などと思ってしまった後で、
”・・・・・・・・・・でもボーリョクを振るったり、
相手の存在を消すことが「解決」では全然ないよな、”
といつも思う。
キレイゴトを言うようだが本当に、いつもそう思うのだ。
嫌な奴を消したいときは、自分の頭の中から消す。
つまり、俺が忘れてしまえばいいのだ。
誰かをねじ伏せたり、やっつけたり することに
パワーなど、使う意味はない。
パワーも、時間も、労力も、カネも、何もかもだ。
俺から見て、下品な奴、傲慢な奴・・・は世の中にいくらでもいる。
そういうのに いちいち、喧嘩売りながら生きるわけには行かない。
自分の考え方、自分だけの「正義」など、
押し通すべきではないのだ。
他人に妥協する、というのは一見、情けないように見えても・・・・
実は大事なことだったりする。
妥協するには、勇気だって要るぜ。
殺しあわずに、妥協しあう道を探すべきだと思う。
妥協しあって、共存するのだ。