
今日買ってきた。
一軒目に行った商店街の中の小さな本屋で店頭にないので尋ねてみたら、
店主(であろう)お爺さんが、「ああ、あれね・・・・いや・・・・・」と言葉を濁した。
人気作品なので売り切れですよ、という意味なのであろう。
(ちゃんと日本語で言えよなw。)
二件目の本屋で若い店員に尋ねてみたら、彼はパソコンに向かった。
検索してくれてる間に店内をもう一度眺め回してみたら棚に、一冊だけ残っているのを発見した。
あったからいいですよ、と言ってその一冊を購入した。(彼は知らないのだな。まあいいけど。)
村上春樹の新刊、「一人称単数」である。
僕が初めて村上春樹の小説に触れたのは1984年のことだったはずだ。(83年かな?)僕は高校二年生だった。
雑誌「宝島」に載った、作者のロング・インタヴューを読んだ記憶がある。
そしてその「宝島」は、今でも持っている。
それは彼にとって三作目の長編小説である「羊をめぐる冒険」が刊行された直後だった。
強い興味を持って、当時住んでいた奈良の学生寮からいちばん近い大き目の本屋で、
いちばん初めから読んでみよう、と思い
一作目の「風の歌を聴け」を買った。そして当然、夢中になって二作目、三作目を買って
取り憑かれた様に読んだ。
不思議なのは・・・・・・・・・・・後年になってから、
僕の大事な友達二人がそれぞれ別々に、
「オマエに村上春樹を教えたのはオレの姉貴だ」と、僕に言ったことだ。
一人は寮で三年間、兄弟のように一緒に暮らした西妻清治で、確かに、彼には魅力的な姉がいた(今も健在だと思う)。
もう一人は、この日記に良く出てくる、ランブルフィッシュのヴォーカルだった佐治朝吉で、
彼にも魅力的な姉がいた(今も健在なのだ、一昨年にお会いした)のだ。
そしてその姉二人ともが、当時から村上春樹の読者であった、という。
僕は自分で発見したつもりになっていたのだが、そうではなかったみたいだ。
記憶って、あやふやなものだ。
大事な友達の姉(シスター)から教えてもらっていたのだとしたら、それはそれで幸せなことだ。
でも二人してそんなこと言うなんてね?なんか不思議。多分両方本当なのだ。
それはともかく、
それ以来僕は彼の新刊が出るたびに、本屋で新刊本を買うようになった。
ものすごく強い影響を受けた。
一時は「ファン」というよりほとんど「信奉者」であった。
僕が19歳だった頃に発表された「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は
当時付き合っていた女の子が誕生日にプレゼントしてくれた。出たのが9月だったのかな。
「世界の終わりと・・・」の次の作品、「ノルゥエイの森」が大ヒットしてしまって、
村上春樹は超人気作家になってしまった。
それ以前は、「本好き」以外は彼の名前すら知らなかったはずだ。
新刊が出ると本屋の店頭に平積みになる。
時には、売り切れたりする。それはそれでいいのだけれど
近年はノーベル賞候補になっているとかいないとかで、大騒ぎになっていて、
別にそれもいいのだけれど、(そういえば近年は何と、ラジオDJまでやってますね。・・・・多才だ。)
僕にとっては
今でも律儀に新刊が出る度に買っている、肝心の彼の「作品」が、
1985年の「世界の終わり・・・」を最高峰として、
なかなか初期作品のように「心震える」ものが出ないことが少しだけ残念だった。
エッセイとか旅行記とか、自己の人生を振りかえる「自叙伝的」な作品とか、
音楽についてマニアックに語るもの、などは相変わらず素晴らしい、最高の最高なのだけれど
彼の本領である「小説作品」に、かつての輝きがないような気がしていた、生意気な意見だが。
しかーし!
今回の短編集は凄かった。
圧倒的に凄かった。
もう、今ここで安易に感想を語れないくらい、密度が濃いし、
僕みたいな長年の読者にとっても、「親密」な感じが濃厚に漂っている。
しかも切ない。
あまりにも切ないので、あと2編残っているのに読むのを中断してしまった。
読み終わってしまうのが勿体無いくて。
一編読み終わるたびに、むむむむーーーーーーーーーーとしばらく唸ってしまう。
こんな読書体験は久しぶりだ。
村上春樹はやっぱ、すごい。
素晴らしく切なくて、奇蹟的だ。
あああ。
ふと我にかえると、さっきまでとは風景が違って見えるのだ。
世界は深遠で、眩暈がするほどスバラシイ。
こんな体験が出来るから僕はやっぱり「本」が好きだ。
嬉しい。
まだ読んでない、
この本の最後に掲載されている表題作「一人称単数」では、どんなことが語られるのだろう?
タイトルからして、興味深過ぎる。
むむむむ。